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嬉々としてボコられる

イーライ・ロス『ノック・ノック』

文=

updated 06.09.2016

妻子持ちの男がひとり留守番していると、雨に濡れそぼり寒さに震えるギャル二人組が玄関口に現れて道に迷った様子なので、ついつい家に入れてしまいそのせいでエライ目に遭うという、タイトル通りの映画である。普通に考えて、仕事のため残ったとはいえ、大音量で好きな音楽をかけながら時間を気にせず作業に没頭できるという、要するにひさしぶりに羽をのばしているところにもってきて、いきなりうら若き女性が、しかも話せば話すほど下半身のユルそうなのがふたりまとまって飛びこんでくるのだから、この危機を脱することのできる男などいるのかという話だ。

そういうわけで、「誘惑に負けて災難に遭う系」の王道である。「男なら身につまされるでしょう?」という企画だからこそ、主人公が見るからにスベりそうではつまらない。家族思いで親しみを持て、絶対裏切らなそうな男でないと。その点、この映画のエヴァン(キアヌ・リーヴス)は良い線をいっている。妻にベタ惚れな様子で、ちょっとバカに見えるくらい子どもたちにメロメロである。おかげさまでわれわれも終始、「もうそこでやめとけって、バカ!」と叫び続けながらスクリーンを見つめられるというものだ。

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加えて、40代のおっさんたちが妄想するベストな“盛り自己イメージ”からあまりかけ離れないところで役作りがなされている。いやいや、おっさんがみんなキアヌ気取りだというつもりはない。でも、よっぽどデブでハゲたりしていないかぎり、だれでも「まだまだおっさんじゃない」とどこかで思っているものなのだ。この映画のキアヌは、絶妙にその「まだまだおっさんじゃないつもり」カテゴリーの中に身を滑り込ませ、その手の連中が容易く感情移入できる主人公像をこしらえてくれる(もちろんキアヌ本人は62年生まれだから、50を越えているのだが)。

そうやってついキアヌに自分自身を重ね合わせてしまったおっさんは、古臭い音楽をしたり顔で若い女子に聴かせたりするイタイタしいエヴァンの姿によってまず冷水を浴びせられ、そのうえでさらに妄想を打ち砕かれることになる。服を着ていればしゅっとしてそれなりに若作りなのに、脱いだ途端、筋肉の衰えたしまりのない二の腕やら胸まわりが露わになるのだ。世のおっさんがほんとうに身につまされるのは、誘惑に負けてしまうところよりも、実はこのキアヌが脱ぐシーンなのではないだろうか。見事な身体作りである。『ジョン・ウィック』でシステマなんか使って殺しまくってたのと同じ肉体とは思えない。

それでがっくりきたところで、またしでも俄然イーライ・ロスに腹が立ちはじめる。なにしろこの、「中年のおっさんが、若い女に手なんか出した日にはすべてを失うぞ」という教訓話の中で、若い女のひとりジェネシスを演じているロレンツァ・イッツォを、いつのまにか実生活で娶っているのだから。イーライは40代、ロレンツァは20代。エヴァンとジェネシスそのままではないか。

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そのくせというか、だからこそというか、エヴァンの受ける仕打ちはほんとに酷い。いつも感じることだがイーライ・ロスの映画は、被害者を完全に餌食としか見ていない不快さがある。この作品の場合はそのサディズムの中に、いつも以上に私的な喜びが込められているように感じるのは気のせいだろうか。ホラーの作り手たちはたいていの場合、被害者の側に身を置いて震え上がりながら、同時に加害者の側の楽しさも味わってしまっているという自己矛盾に引き裂かれていて、そこがわれわれを捉えるものなのだが……。

ただし今回の映画の救いは、キアヌ・リーヴス本人が「美人の美人コンプレックス」的なもののあらわれなのか単なるマゾヒズムなのか、嬉々として熱心に望んでボコられているのがアツく伝わってくるところだろう。もちろん、そのせいで映画全体がほぼコントと化すという側面も否定しきれないが、そんなあれやこれやがあって楽しい映画ではあるのだ。

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