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少しずつ現実のものとする

伏原健之『人生フルーツ』

文=

updated 01.06.2017

ここのところ頻繁に考えるのだが、実現可能なものとして理想を思い描ける日常生活というのはどういうものなのだろう? ぼんやり「ああなったらいい」、「こういう社会が訪れたら」と考えることはあっても、それが決して現実のものとはならない世界に生きていることをわれわれは知っている。日常の次元でも同じことで、「ここをほんの少しこう変えるだけで、格段に住みやすくなる」とか「仕事しやすくなる」とか考えても、そんなことはぜったい口にしない。したところで何も変わらないし、そもそも自分自身の中にすら変わる余地がほとんどないことをうすうす感じているからだ。

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このドキュメンタリーに登場する建築家の津端修一氏は、1955年に創設された日本住宅公団に入社し、多摩平団地、阿佐ヶ谷住宅、赤羽台団地など数々の都市計画作りにたずさわってきた人物である。集合住宅、つまり「団地」ということだが、高度経済成長期を担ったサラリーマンたちにとっては憧れの住処であり、その子どもであるわれわれの世代にとっては日本的な貧しさを象徴するもののひとつでもあった。墓石のように整然と並ぶ建物の中にうがたれた無数の「ウサギ小屋」というイメージが薄れ、甘やかさすらともなうノスタルジーの対象になったのはあまり昔のことではない。

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しかしながらそういう「団地」の中にも、ある変化の導入されはじめた時期があるのだそうだ。映画のプレスに寄せられた藤森照信氏の原稿によれば、「ある時期から道は緩やかにカーブし、住棟も少しずつ方向を変えて並び、見通しも利くようになり、緑も増え、有機性が現れて」きた。その変化をもたらしたのが、津端修一だったのだという。

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個人的な記憶をまさぐってみると、住宅公団によるものでなくても、70年代後半に建てられた東京近郊の「団地」を眺めても、たしかにその遺伝子が伝わってきていたことがわかる。建物はさらに巨大化し、小学生にとっては圧倒的な壁として視界を遮るものだったが、その足下の緑地と樹木の間をうねりながら敷地内各所を結び合わせる街路が設けられていて、道筋を変えながら自転車でぐるぐる走り抜けると風景がぐんぐん変わっていってとても気持ちの良いものだった。とはいえ、その道から垂直に上昇しなければ辿り着けないその「団地」の住戸に住みたいとはとうてい思えなかったが。

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1959年に大きな被害をもたらした伊勢湾台風の後、高台に住宅地を造成する高蔵寺ニュータウン計画が持ち上がり、津端修一はその設計を手がける。もとの稜線にそって建物を配置することで地形の記憶を留め置き、街中にも雑木林を残して風が通り抜けるようにする。今聞いても心躍る計画だったが、2万2千戸に8万人を収容しなければならないという効率が優先されことになり、結局のところ山は削られ、谷は埋められた。

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ところが、津端修一はそのニュータウンの一隅に土地を求め、1975年、自らの師アントニン・レーモンドの自邸に倣った家を建て、雑木林を育て、小さな畑で作物の栽培を始める。この映画は、その津端修一最晩年の生活を捉えるのである。かたわらには、65年間を共に過ごした妻、英子の姿がある。
ふたりの毎日は忙しい。いつでもなにかを作ったり修繕したり、手入れしたり収穫したり、植えたりしている。2カ月32万円の年金と、畑で採れるさまざまな作物によって、テーブルには豊かな食事が並ぶ。

ふたりの生活を、「スローライフ」だとか「エコ」だとか呼んで済ませてしまってはほんとうにつまらない。聞けば、宅地造成によってアメリカ西部の砂漠のようになってしまっていた山に木を植えるという「ドングリ作戦」を発案・展開し、見事に復活させたのだという。現在の姿を見れば、まさに『ドラえもん』に登場するあの「裏山」以外のなにものでもない。子どもたちが「秘密基地」を作るのにうってつけの懐の深さを感じさせて、よもやそれがつるっパゲだったとは思いもよらない。

それは自宅についても同じことで、雑木林の中にひっそり佇むように見える家は、吹きさらしの荒野に建つ一軒屋という状態から出発して、毎日の積み重ねの果てに周囲の環境も含めて現在の姿を成すにいたったのである。

誰しも経験のあることだと思うが、実現されることを前提に理想の計画を立てれば立てるほど、それが頓挫したりねじ曲がったりしたときの痛手は深い。どうしてこんなことが理解できないのかと人の愚かしさに絶望し、憎しみすら抱くことがあるだろう。いや、憎しみ程度ならまだよくて、「それならばすべて滅びればよい」という破壊衝動に達しないことの方がむずかしいだろう。だから、丹精込めて最善に可能な限り近づけた計画がズタズタにされ跡形もなく引き裂かれかかるのを見つめながらもその中に移り住み、たったひとり小さな理想をひとつずつ毎日実現させ続けるというのは並大抵のことではない。

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ここにあるのが、万人にとっての理想の生活ということでは無論ない。だが、津端夫妻は実現可能な理想の形をつかみ、その中で毎日を過ごすことによってそれを少しずつ現実のものとしていったのだから、これほど愉しい生き方はないだろう。

「貧しいが、(それゆえに)豊か」とかいう唾棄すべき紋切り型もそこにはない。ここではなく別のところにあるなにかに奉仕することのない毎日が、豊かでなくてなにが豊かなのか。

なお、そういう豊かさにとって最も不必要な存在であるカメラを持ち込み、彼らの日常の一部分にまでなることでこの作品を作り上げ、われわれにふたりの生き方を見せてくれた監督伏原健之をはじめとする作り手たちの粘り強さは、津端夫妻が高蔵寺ニュータウンの片隅に居を構えたことにほとんど匹敵するくらいの敬意に値すると思う。

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公開情報

(C)東海テレビ放送
2017年1月2日(月)よりポレポレ東中野にてロードショー、ほか全国順次公開中