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現実はどこまでも続く

ブリランテ・メンドーサ
『ローサは密告された』

文=

updated 07.30.2017

タクシーも侵入を拒む通りの奥に、ローサ(ジャクリン・ホセ)の雑貨屋がある。日用品からドラッグまでなんでも扱っている店だ。同じような小商いの店がびっしりと並んでいる路地には密接な人間関係が張り巡らされていて、主人公一家はその中に滲み出て広がるようにして暮らしているように見える

夫のネストール(フリオ・ディアス)はヤク中だが、クスリを入れればかろうじて店番はできる。次男のカーウィン(ジョマリ・アンヘレス)だけが母の買い出しを手伝うが、長男ジャクソン(フェリックス・ロコ)は仲間とともに路地にある飲食店にたむろしていて関わりたがらない。だが娘のラケル(アンディ・アイゲンマン)が帰ってくると、屋台で買いそろえられた料理が食卓に並び、われわれも知る家族のかたちがあらわれる。

だがそこには、近所の子どもがやってきて「アイス」と呼ばれるクスリを売ってくれとねだったりする。それを断り、一緒に食事をしていけというローサの姿からは、それがあたりまえの日常であること、それゆえそこに悪は介在しないことが理解される。価値が転倒した世界でも変わりなく進行する日常を捉える、良質な戦争映画を見ているような気分になる。

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実際、そこは陳腐な比喩ですらなく紛れもなく戦場にほかならないことが、まもなくわれわれに示される。ローサの店が、突如警察を名乗る男たちに踏み込まれ、ストックしてあった「アイス」の在庫を押さえられるのだ。ローサとネストールは警察署に連行され、そこから長い一昼夜が始まる。

警察を名乗る男たちのいる事務所だから警察署なのだろうと想像するわけだが、ほんとうのところどういう空間なのかはハッキリしない。使い走りの少年たちまでいるし、男たちは仕事をしているのかしていないのかもわからない姿でだらだらしている。ローサとネストールの子どもたちが警察署に駆けつけても、拘束者リストに両親の名はないし、留置所にも姿が見つからないのだ。

とはいえ、家族の目から隠されているということでもない。事情を知る一人の警官に案内されてみると、二人は警察署の裏側にある一室に監禁されていることがすぐにわかる。そして、釈放の見返りに金を要求される。ローサたちにとっては法外な大金だ。払えないなら、とドラッグの仕入れ先の名前を密告させられる。

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こんな具合に、追い込まれるローサ一家の姿が延々と続く。子どもたちは総出で街を駆けずり回り、一晩かけて大金をかき集めることになるだろう。

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少しずつわれわれの目に入る風景の断片をかき集めると、どうやら警官たちにもグループないしヒエラルキー、もしくは縄張りのようなものがあって、進行中の事態を知られたくない相手もいるらしい。また、警察署の裏でおこなわれるこうした稼ぎに関しては、表側にオフィスをかまえる署長らしき人物に対してみかじめ料が支払われている。

だが、こうした「腐敗の実情」に関する情報だけでは、これほどまでに強度の高い映画にはなっていなかっただろう。正直なところ、警察の腐敗ぶり、弱者を搾取する権力構造のあり方については、おおむね想像の範疇を出なかった。さもありなんというところなのだ。ピンがボケまくる撮影も、スタイルとして確立されているし、びっくりするほどのものではない。

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ではなにが映画としての力を研ぎ上げているのだろう。それはなによりも、主人公たちの真横で彼らの身の上に降りかかる大災難を目撃しているという感覚であり、その感覚を担保しているのは出演者たちの身体そのものであるというほかないだろう。

混血が進み、しかも美しくもない体つきや容貌を前にして目はいっこうに休まらない。いろんな言語の混ざった名前の響きも耳慣れなければ、時々英語やらスペイン語の単語が混ざり込むせいで、いっそうざらついた感触を残していくセリフもわれわれを落ち着かなくさせる。
すでに、見慣れない顔の俳優たちのおかげで、リアルさが際立つという次元の話ではない。彼らが目の前に現れた瞬間から、なんだかイヤなかんじなのだ。言ってみれば、旅先で曲がり角をひとつ間違えて、ヤバイ通りに入り込んでしまったけれど、ここで引き返すと注意を惹いてしまう、という状況に陥ったときの感覚に近い。

そして、物語や想像の世界ではありふれた出来事だったとしても、現にその目に遭っている人間たちにとって、その事実はなんの救いにもならないのだ。思いもよらず理不尽なことをされている最中に、「これってあのお話と同じじゃん」と気づいても「なーんだ」で終わって解放されたりはしない。

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現実はいつまでも続く。聞き覚えのある物語を必死になって思い出せば、どこかに逃げ道が見つかるのではないかと考えながら、押し寄せる苦痛にひたすら耐えるしかない。この映画の凄みは、そんなあたりまえのことをわれわれにイヤというほど体験させるところにある。
ならばただ後味の悪いだけの映画なのかといえば、まったく違う。あくまで価値転倒世界における日常の延長線上にしかないものではあるのだが、この作品にもカタルシスは訪れるし、現実のドブ川からふと浮上する奇跡のような美しい瞬間もある。

美しいといえば、この映画は、5.1チャンネルの音響に支えられるところ大であることも書き添えておこう。あれがあるおかげで、ローサたちの地獄に付き合うことができた。のみならず、サウンド・トラック(音楽だけでなくSEやセリフなども含めた音響全体)だけを抜き取ってじっくり耳を傾けたいという気持ちにもさせられた。

公開情報

7月29日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー!
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