資本主義という名のゲームがあり、無数のプレイヤーが参加している。また、プレイヤーたちに向けて、勝利を勝ち取るためのさまざまなコツや情報を伝授する男がいる。その役割を担っているのが、この映画におけるリー・ゲイツ(ジョージ・クルーニー)である。彼の司会する番組『マネーモンスター』は、そうした情報を“軽薄な娯楽”として伝達している。
一方、その情報を素直に受け入れゲームに参加するが、人生そのものをすってしまったというくらいの大敗を期した男がいる。それが、拳銃片手に生放送中の『マネーモンスター』に乱入するカイル・バドウェル(ジャック・オコンネル)である。無数の敗北者たちのひとりが、自暴自棄の果てにゲームのルールから著しく逸脱したというわけだ。
そしてどこかには、アンフェアなプレイで私服を肥やす悪者がいる。アンフェアというのは、ルールを無視したり改変したりしているということあって、負けることは決してないということだ。そのうえ敗北者の数が多ければ多いほど、勝利の規模も大きくなる。もちろん情報操作もまた、ルールをねじ曲げるひとつの手段である。だから、ゲイツもまた共犯であるという見方が成立する。
当初“悪”と見えたカイルが、実は“巨悪”の“被害者”であり、その意志はなかったとはいえ“悪事”に荷担していたも同然のゲイツらはカイルの立場を通してそのことを理解し、危機的状況の中で目覚めた“ジャーナリスト魂”によって“真実”を追い詰める決意を固め、最終的には“巨悪”の姿を暴き出す、という風に物語は展開されていく。
そういうお話なので、その過程で資本主義のゲームそのものが疑問に付されることはない。「資本主義とはあくまで価値中立的なゲームであって、ルールに則ってプレイされているかぎり、万人に平等な機会を与えるフェアなシステム」という世界観にヒビは入らないのだ。ところがラストに訪れるほろ苦さは、狙いなのかどうかもハッキリしないが、ゲームそのものへの不信感をうっすら感じさせるようにできているように見えた。
映画そのものは、番組生放送中のスタジオにひとりの男が爆弾ヴェストと拳銃を持ち込み、番組をジャックするところからはじまる。スタジオの内外がさまざまなかたちで繋がり合うことで情報のやりとりがおこなわれ、少しずつ事態の全貌が見えてくる。そのさまが、緊張を途切れさせることなく展開される。しかもその過程では、前述のとおり当初の被害者/加害者の図式が反転し、被害者救出にあたっているはずの警察の役割もまた転倒するといった具合に、様々な登場人物が入り乱れる複雑な状況が出現するわけだが、それもまた混乱なく提示してゆく。ほとんど職人監督のような手際だった。
一方で、ゲイツの相棒役である番組プロデューサー兼ディレクターのパティ・フェン(ジュリア・ロバーツ)、“悪者”の率いる企業でその広報を担当するダイアン・レスター(カトリーナ・バルフ)、はたまた一瞬登場するだけのカイルの恋人や若い番組スタッフにいたるまでの女性たちが全員それぞれに強固な意志を持ち、男性登場人物たちを罵り、裏切り、操り、断固として行動を止めないという、女性映画の側面をも持つことがフォスターらしく、楽しかった。
男たちはひとり残らず弱さを抱えていて、強い女性たちに命令され、救われ、とどめをさされ、と受け身で追いまくられるばかりなのだ。だからこそ、困難な状況を共にくぐり抜けた後のゲイツとフェンであっても、安易に恋愛関係が持ち込まれそうな気配は微塵もない。ただ心強い仲間として、お互いへの信頼を再認識するばかりなのだ。小気味良いことこの上ない。
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6月10日(金)全国ロードショー!
配給: ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント
公式HP: MoneyMonster.jp