第二次世界大戦の生き残りとその因果を巡る映画は過去にたくさん作られてきたが、すでに終戦から70年以上が過ぎた現在を舞台にするのであれば、たしかにこういう工夫が必要になるだろうと深く納得させられる。
主人公のゼヴ(クリストファー・プラマー)は老人ホームに住んでいて、記憶障害を患っている。眠りから覚めるたびに、しばらくのあいだ直近の記憶を失うのである。妻が一週間前に亡くなったことを忘れて話しかけたり、その姿を求めてうろついたりしてしまう。
そんなゼヴの記憶を補うために、ホームの友人マックス(マーティン・ランドー)は長文の手紙を渡す。そこに記されてあるのは、ふたりがアウシュヴィッツの生き残りであること、彼らの家族を殺した男は身分を偽ってアメリカへと渡りそのまま安穏と生き続けてきたこと、もはや罪を償わせる時間の余裕はないこと、それゆえふたりは自らの手によって罰を与えなければならないということだった。
マックスは身体の自由が効かず、ホームを出ることができない。そのため、ゼヴはひとりマックスの詳細な指示書を握りしめて旅に出る。眠りから覚める度にその手紙を読み、自らの使命と、それを果たすための手順を復習しながら、移動を続けるのである。
旅の途上で出会う人間には、善人もいれば悪人もいる。助けられたり、邪魔をされたりはするが、「容疑者リスト」からはひとつまたひとつと名前が消されていく。
ゼヴの記憶がどの程度失われているのか、手紙によってそれがどの程度蘇るのかというあたりは、観客にはわからない。そこがクリストファー・ノーラン『メメント』(00)とは異なるところで、それゆえに物語のゲーム性は薄い。つまりわれわれは、弱者である主人公の姿を、すなおにハラハラしながら見守り、彼が目的を遂げることを切に願うようになる。
そう願いながら、なるほど、たしかに「老人もののロード・ムーヴィー」というのはひとつのジャンルとしてあるわけだし、それを「アウシュヴィッツの生き残りもの」の上に重ねることで、サスペンスを強化するというのはまったくもってアリだとも考えるようになるだろう。
でもそれだけで終わりなのだろうか。いや、そんなはずはない、とわりと早めの段階で気づくことも難しくはない。この映画には上述の二層に加えて、さらに三層目のレイヤーが重ねられているのである。『デビルズ・ノット』(14)、『白い沈黙』(15)といった、記憶を巡る近年のエゴヤン作品のイメージのままスクリーンを眺めていると、それらがすべてこの映画のための伏線だったようにも感じられるかもしれない。楽しい娯楽映画に仕上がっていた。
公開情報
(C)2014, Remember Productions Inc.
10月28日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
配給: アスミック・エース
公式サイト: remember.asmik-ace.co.jp