「安全」か「自由」か、という罠

オリヴァー・ストーン『スノーデン』

文=

updated 01.23.2017

来日記者会見での監督は、「主人公がストーン映画らしくないと批判されている」と話していた。だが、スノーデンほどストーン映画的な主人公もいないだろう。

特殊部隊の新兵としての挫折を味わったあと国家安全保障局(NSA)に入局、才能あふれる技術者として頭角をあらわし幹部からの覚えも良く、その道を進めばある水準以上の出世が約束されていたにもかかわらず、突如自ら仕えていた巨大な怪物たるアメリカ合衆国に反旗を翻すのだから。自己破壊欲に衝き動かされるようにして必敗の戦いを挑んでしまうといえば、ストーン映画の典型的な主人公以外の何者でもない。

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もうすっかり記憶が曖昧になっているが、この1983年生まれの若者の名前がわれわれの目と耳に飛びこんできたのは、2013年夏のことだった。オバマ政権第二期がはじまったばかりのことで、オリヴァー・ストーン自身についていえば、おりしも『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』シリーズの刊行・放映直後のタイミングにあたっていた。

「世界中の人々の通信が傍受され、大手通信業者やIT企業は軒並みそれに協力している」、「同盟国のものを含めて各国の大使館を盗聴している」、「ハッキングの対象となっている海外の施設や組織は膨大な数に上る」といったような訴えを耳にしたわれわれは、「さもありなん」と感じながらもスノーデン自身がスパイである可能性を含めありとあらゆる「シナリオ」をぼんやり思い描きながら日常の時間に呑み込まれていっただけだった。

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実際、2013年におこなわれた「告発」直前のスリリングな課程から幕を開き、そこに至るスノーデン自身の半生を語り起こすこの映画は、ストーン自身が念を押すように、あくまで「スノーデン自身の語る物語を彼の視点から描いたもの」にすぎない。ただし、映画が実現するまでに本人との面会を2年の間に9回重ねたストーンは、「もし彼がウソをついているのなら、スノーデンは卓越した俳優ということになるだろう」という。つまり、経験豊かな映画監督を完全にだませるほどの演技力の持ち主はいないだろうということだ。

この物語によれば、たとえば個人のパソコンにはなんの造作もなく侵入できて、スクリーンの上についている小さなカメラからは室内に様子や対象人物の顔などをのぞき見ることができる。こういったことは、もちろん技術的に可能なのだろうとわれわれも知っているが、見られたところで困ることはないという気分も混ざる。国家的な組織ではない一個人ハッカーでもできることなのだろうし、気をつけて気をつけきれるものではないという諦めの気持ちである。

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だがこの映画ではもう一段階進んだ「悪行」の例が示される。それは、日本を含む同盟国のインフラを管理するシステムにはすでにマルウェアが仕込まれていて、ひとたびアメリカ合衆国から離反するようなことがあれば、それがただちに起動されて、国土が機能不全に陥るようになっているのだという。かつて横田基地で勤務していたこともあるスノーデン自身が、その作業に従事した経験を持っている。

こうした「告発」が真実だとすれば、国土全体が人質に取られていることになるわけで、国家レベルでの「造反」は不可能ということになる。むしろその事実を知らしめることで、「ウソっぽいけどありえなくもないよな」といううっすらとした恐怖を「一般人」に植え付けられるという意味では、スノーデン自身がその「恐喝」の一端を担いでいることになるような気すらしはじめる。

であるとすれば、結局のところひとりひとりが何らかのかたちでの抵抗を押し進めるほかないという話になるわけだが、技術面でできることは専門家でもないかぎりたかが知れている。究極的には、ありとあらゆるコミュニケーション手段を疑い、マスメディアを疑い、ネット上の噂を疑い、うさんくさい陰謀論の中に潜んでいるかもしれない真実の欠片を探し、いつでも自律的に思考する癖を身につける、といったことをひとつひとつ辛抱強く続けるということにしかならない。個人的には、この映画を見たあとで最初にしたのは、自宅PCのカメラ・レンズに付箋を貼ることだったが、それ以上にできることはなにも見つからなかった。

「安全」と「自由」を天秤にかけ、一方が重くなれば他方が軽くなるという思考法そのものが誤ってると、記者会見でのストーンは訴えていた。たしかに、自律的な思考のために有効な解毒剤のひとつとしては有効であるように思える。

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もちろんこの映画は、決して情報やメッセージの伝達だけに奉仕しているわけではない。「自分だったらこんな選択はするだろうか/できるだろうか」というかたちで、無理なく主人公に感情移入をさせながらサスペンスの強度を上げるという娯楽映画の定石をきちんと踏んでいく。劇映画の形を選択したが故に得られた、観客の感情に迫る力も備えている。

しかしながらアメリカ国内での資金集めは難航し、結局ドイツ、フランスとの合作としてこぢんまりと成立した。「この題材では収益が期待できない」というものから、「この題材に手を出してはヤバイ」というものまで大きな幅があるとしても、題材そのものが製作に影を落としたことはたしかだろう。

公開情報

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2017年1月27日よりTOHOシネマズ みゆき座ほか全国ロードショー