THE HUNDRED-FOOT JOURNEY

際限ない越境の果てに

ラッセ・ハルストロム『マダム・マロリーと魔法のスパイス』

文=

updated 10.29.2014

とてもわかりやすい「越境」の物語なのだが、『マダム・マロリーと魔法のスパイス』という邦題からストレートに連想されるものを予期して見ると、すこし戸惑うことになるかもしれない。いや、映画を見た後で考え直すと、この邦題もまた誤りではないことがわかるのだが。

ムンバイで母に「味覚」を仕込まれた主人公ハッサン(マニッシュ・ダヤル)。家族経営のレストランは繁盛していたが、ある事件のため母は死に、レストランは焼失し、残された一家は新天地を求めてヨーロッパへと旅立つことになる。

偶然の出来事から、彼らはある南仏の田舎町でインド料理屋を開店する。その正面にはマダム・マロリー(ヘレン・ミレン)の経営するミシュラン一つ星のレストランがある。

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この映画における「越境」は、はじめ、向かい合って建つこの二軒のレストランの間で視覚化されることになる。フランス文化の洗練と、ボリウッドの泥臭さ。二軒の対立は、一部の人間のレベルでは文化的排外主義の形も採るだろう。

だが、誰よりも発達した味覚を持つハッサンは、高級フランス料理とインド家庭料理の両方で才能を見せる。それは激しくぶつかり合うふたつの領域を越境する行為へと繋がっていくだろう。そして、その先でさらに才能を見いだされたハッサンは、田舎町からパリへと越境することにもなる。

だが結局のところ、マダム・マロリーをはじめとする多くの人々を驚嘆させ感動させることになるハッサンの料理とは、フランス料理の中にインド料理のエッセンス(“魔法のスパイス”)を注入したものであった、ということに象徴されるように、ハッサンの存在と彼の生み出す料理は、境界そのものを無効化してゆくものにほかならない。

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相容れないもの同士として対峙していたマダム・マロリーとハッサンの父(オム・プリ)もまた次第に好敵手という関係性に移行し、ハッサンの越境によってその段階も過ぎると、互いの間にあった境界そのものをすこしずつ融解させてゆくことになる。「こちらの店」から「あちらの店」に行くという移動は、すでに越境ではない。その時二軒のレストランは、上空で炸裂する花火によって、暗闇の中にひとつの孤島のように浮かび上がるだろう。

一方、ハッサンの道程がわれわれに示すように、際限ない越境とは遠心力に導かれる終わりのない孤独な旅でもある。境界を無効化しつつ、本人だけは外へ外へと越境し続けていったとき、どこに到達するのか。

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「人には核となる還るべき土壌が必要であり、越境の果てに価値が見いだされるのはまさにその土壌なのだ」というのはあまりに保守的な価値観であるように感じられるだろうが、もちろんその土壌とは、そこに“帰還”さえすれば永久に己のものになる場所として存在しているのではない。それは常に越境によって“発見”され続けなければならないのだ。

しかもそれは、誰によっても発見されうる。つまり誰ひとりのものでもない。たとえば、「豊かな農産物に恵まれた南フランスの片田舎」という土地が、インド人であるハッサンの“故郷”となるという意味で、誰のものでもない場所に変えるのが、その“発見”の機能でもある。その時ようやく、越境が物理的な移動であることを止める。

ずいぶんな遠回りをして辿り着いたように見えるこの映画のハッピー・エンディングが、一見ベタベタなメロドラマに見えたとしても、奇妙な爽やかさを残すのは、そういう理由でのことなのだ。

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公開情報

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11月1日(土)全国ロードショー