場所のせいなのか時代のせいなのか、どこまでいってもどこかで見たことがあるという感覚がつきまとう、1977年のLAを舞台に展開されるノワール。それはもう、ほとんどポール・トーマス・アンダーソン『インヒアレント・ヴァイス』(15)の主人公のように、“妄想警報”が頭の中で鳴りはじめそうなほどに。
とはいえ楽しめないわけではない。むしろ面白い。隙がないといってもいいだろう。スタイリッシュさに溺れることもない。なにしろ物語はそれほど単純ではなく、ノワール的陰謀論フェチの望むとおりの深度と錯綜を見せてくれるのだ。
妻と死別し娘をかえりみず酒に溺れる私立探偵ホランド・マーチ(ライアン・ゴズリング)と、腕にものをいわせてもめ事を解決することを商売としているジャクソン・ヒーリー(ラッセル・クロウ)がいる。
ヒーリーはある日、少女アメリア(マーガレット・クアリー)の依頼を受ける。彼女を“ストーク”している“ヘンタイ”と話をつけてくれというのだ。それがマーチだった。
一方マーチはといえば、ある老女の依頼によって彼女の姪であり事故死したとされるポルノ女優ミスティの捜索にあたっている。そのために、重要な手がかりを握るアメリアの行方を探し求めていたのであった。
さて、マーチをいためつけるというラクな仕事を終えて帰宅したヒーリーを、謎の二人組が襲撃する。からくも脱出したヒーリーは、その足でマーチの元に赴く。どうやら生命を狙われているらしいアメリアの捜索を、彼に依頼するのである。
というとば口からはじまるこの物語は、ポルノと自動車という、関係なさそうで実は共に規制によって揺さぶりをかけられている点で共通するふたつの業界を擦りながら進んでいく。結び合わせるのは、両案件を担当するカリフォルニア州司法長官ジュディス・カットナー(キム・ベイシンガー)であり、彼女はアメリアの母親でもある。ちなみにジュディスには秘書タリー(ヤヤ・ダコスタ)がいて、なにやら悪巧みを張り巡らせているようにも見える。
しかも、こんなふうにぐねぐねと脱線ぎりぎりに前進する物語の動力源となるのは、マーチの娘ホリー(アンガーリー・ライス)だったりする。悲惨な成育環境に置かれているはずなのに悲壮感はなく、どこまでもしたたかに生きている。腕力男、軟弱男、お転婆娘の三人組というわけだ。
お話は二転三転、留まるところをしらずという具合に進んでいく。それでも破綻はしないし、あらすじを追うだけで精一杯というデキにもならない。ねじれたバディものの感覚で笑わせながら、荒唐無稽に振り切れるかと思わせつつ行き過ぎることはなく、物語が地面から遊離するのを許さない。なんでこんなにちゃんとしているのかと思ったら監督兼脚本家が、『リーサル・ウェポン』(87)でデビューした男だった。
ところで、今作のゴズリングはほんとに情けなくできている。よっぽど「すべてを持つ男」であることにイヤ気がさしているのだろう。ドジをして「キャッ」と女子みたいな悲鳴を上げるし、もちろんケンカにはめっぽう弱い。同じダメさでも、ラッセル・クロウが演じる場合の“ダメなオヤジ”とはまったく違う方向である。この映画を見てから『ラ・ラ・ランド』(16)を見たら、ああいう作品の中ですらゴズリングが一瞬マーチになっていることを確認できた。
というわけで、ちゃんとしているということはハデではないということだし、最後にはちょっと狐につままれたような気分になるかもしれないが、それはそれでぜんぶ狙いと思おう。意外にも楽しくて、続編だって見たいと感じさせる映画なのだ。
公開情報
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2017年2月18日、新宿バルト9ほか全国ロードショー