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どうしてもやらかす人

ジョシュ・クリーグマン+エリース・スタインバーグ
『ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ』

文=

updated 02.16.2017

やらかす人はいくらでもいる。いや、みんなやらかす可能性を持っている。肝心なときに、いちばんやらかしてはいけない瞬間を選んだように、やらかしてしまう。それを繰り返す人間はもちろんある種の病に罹っているわけだが、わたしたちはそれを見て笑えるのだろうか。むしろ背筋が寒くなる方が自然ではないのか。

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アンソニー・ウィーナーというブルックリン出身の政治家は、自ら認めるとおり病の域に達したやらかす人である。20代でニューヨーク市議会議員に当選、30代で連邦下院議員に当選。抜群のカリスマと頭脳のキレを持ち、政治家として才能のかたまりといってもよい。

ところが、ツイッターにブリーフ姿のセルフィーをアップしてしまい一時はそれを「ハッキングされた」せいにする。だがその後すぐ、3年間にわたって6人の女性に「性的な写真」を送付し続けていたことを認め、議員辞職するハメになった。

このドキュメンタリーは、それから2年が過ぎた2013年のニューヨーク市長選挙に立候補するウィーナーの姿を捉える。もちろん「スキャンダル」の記憶は消えていない。「政策」について話したいときでも、「スキャンダル」のことを訊かれる。だがウィーナーは逃げも隠れもせずそれを受け止め、率直かつ誠実に応える。

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選挙運動の趨勢は、急速にウィーナー圧勝の色を帯び始める。向かうところ敵なしの状態に見える瞬間もある。だが勢いがピークを迎えたように見えたそのとき、またしてもやらかすのだ。いや、過去にやらかしていたことがタイミングを見計らって暴露されるのである。映画では触れられないが、もちろん悪意のあるリークであったことに疑問の余地はない。とはいえ、やらかしてもいいタイミングのことではなかった。

「深く反省」し議員辞職した頃から1年以上にわたって、別名義を用いて22歳の女性に「性的な写真」などを含めたいわゆる「セクスティング」を続けていたというのだ。こうして吹き荒れることになった猛烈な逆風にも果敢に立ち向かうが、市長選には落選する。ちなみにウィーナーは、この映画が幕を閉じる時点以降にも「セクスティング・スキャンダル」を繰り返し、やらかし続けている。自己破壊衝動そのものとしか思えない行動であるが、そのスリルはわかる。

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裁判官や教師、医者など、「高い倫理性」が求められ、世間から見て「いちばんやらかさなそうな人々」に限って、どうしてもやらかしてしまうということがある。ウィーナーもこの種の依存症に罹っているのだろうが、本人はそれをある種の「権力欲」と結びつけて自己分析している。

その真偽はともかく、カメラの前でわが身の置かれた状況を認め、その責任は自分にあることを認める彼の姿には、滑稽さや痛々しさを超えた悲壮さすら漂っている。それほどまでにウィーナーという人間は魅力的なのだ。「変質者」がわれわれに感じさせる卑小さが、微塵もない。だからこそ、彼の姿を見ているといつのまにか背筋の凍っていることに気づくのだ。

「いつかかならずやらかしてしまうに違いない」。やらかす(かもしれない)内容は人それぞれであっても、誰もが心の奥底ではそんな恐怖を抱えて生きている。「自分だけはそんなものぜったいに抱えていない」と言い切れる者がいたら、それほど信用できない人間もいないだろう。

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ウィーナーの場合、被害者は妻と子どものみならず、彼を支持し選挙運動のために集結した数多くの人々たち、さらにいえば彼に投票した有権者たちにまで広がるが、そんなことは本人も重々承知なのだ。それでもやらかしてしまう。どうしてもやらかしてしまう。

個人的には、一度も会うことなく「性的な写真や言葉」をやりとりしたくらいで大騒ぎする方が幼稚だし滑稽だという気持ちになるが、それはまた別の問題だろう。とはいえ、幼児虐待でも淫行でも痴漢でもないのだし、これだけやらかしてしまう人に政治を任せてみたら面白いとになるのではないかと、本気で考えてしまう。決して万事挫折なく過ごしてきたエリートや、「変態」や「社会不適合者」を「クズ」と切って捨てられるような立場にいない人間なのだから、社会的弱者への視線には本物の共感があるに違いない。ま、希望的妄想だけど。

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公開情報

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2月18日(土)よりシアター・イメージフォーラム他にて全国順次ロードショー