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境界と弱さの暴力

テイラー・シェリダン
『ウィンド・リバー』

文=

updated 07.29.2018

シェリダンの脚本による『ボーダーライン』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督/15)、『最後の追跡』(デイヴィッド・マッケンジー監督/16)は、本作と合わせて「フロンティア3部作」を成すのだという。1作目はアリゾナとメキシコの国境地帯、2作目はテキサス州西部を舞台としていた。〝フロンティア〟であると同時に、国境や貧富、人種など様々な〝境界〟をはらむ地域でもある。

今作の物語は、ワイオミング州の山奥にある先住民居留地で展開される。直ちにウェスタンの記憶を立ち上がらせる〝辺境〟の風景の中に囲われた、もうひとつの〝辺境〟というわけだ。アメリカ国内であるにもかかわらず、そこには明確な境界線がある。人種が異なり、生活水準は高くない。我々にも聞き覚えのある、先住民居留地に特有の社会問題に蝕まれているらしい。

この映画の主人公コリー・ランバート(ジェレミー・レナー)は白人だが、野生生物局に勤務していて、過酷な自然環境を生き延びるための先住民の智慧を身につけている。のみならず、〝居留地〟の女性と結婚していた過去を持つ。文字どおり境界の狭間で生きる男であることが、すぐに理解される。

そのコリーが、雪原に横たわる若い娘の死体を発見するところから、物語は始まる。娘には、暴行の明らかな痕跡がある。極寒の夜に、裸足のまま何キロもの距離を走り抜けたあげくの死らしい。FBIからは、女性捜査官のジェーン・バナー(エリザベス・オルセン)がたった一人送り込まれてくる。

当初は、事件に深く動揺しつつも一定の距離を置きながらジェーンの捜査を見つめていたコリーだが、やがて正式に彼女を支援することになる。それとともに、実は彼の娘もまた3年前に同様の不可解な死を遂げ、それが妻との離婚をもたらすことになったという事情が明かされる。

監督シェリダンによれば、失踪者の統計数字には先住民女性のデータが含まれていないのだそうだ。自治権を持つ居留地に関して、州や連邦政府は統計の権限を持たないという。ではなぜ居留地の住民が自ら統計を取らないのかとも思うが、そのこと事態が、彼らの生きる社会環境のひとつの側面を物語っているのだろう。そういう意味でも、この些細な事実に居留地の持つ問題が集約されているというシェリダンの着眼の仕方は、きわめて素直でわかりやすい。この明瞭さは映画の全編を貫き、娯楽映画としての質を高めていると言えるのだ。

前述のとおり異なる社会(文化といってもいいかもしれない)の狭間を生きる主人公は、娘の死からこのかた生と死のあわいを生きている状態でもある。FBIの女性捜査官は連邦政府の代表者として降り立つが、それが故にそのままでは境界の内側には一歩も立ち入ることができない。境界の外側から事件の真相までは、絶望的な距離に隔てられている。居留地の保安官が彼女の前で醸し出す、深い倦怠と誠実さの混ざり合ったような、油断ならなそうなのに頼りがいがありそうにも見えるその雰囲気は、FBI捜査官をうっすら包み込む境界の皮膜のありようを巧みに体現してもいる。

表現としては、特に、極度の恐怖が突如暴力に火を付ける瞬間へと雪崩れ込む、クライマックスの処理に感心させられた。その時、陥りがちな映画的弛緩があっさりと回避され、一挙に過去と現在と遠く離れたいくつかの場所が直結する。もちろんそれは、暴力が人間の生に及ぼす力そのものでもある。そして暴力の起点にはどこまでも弱い人間たちがいて、それゆえカタルシスとしての制裁の形も一辺倒ではすまない。そんなところも、この映画は忘れないのだ。

極寒の地にまつわる細かな知識がエモーションの誘導に活かされ、おなじみニック・ケイヴとウォーレン・エリスの音楽もしっくりと映画を支えている。瑕疵が少ないがゆえに地味な印象を与えかねない作品だが、このなめらかでわかりやすい映画は、きわめて巧みな技術によって支えられているのである。

*

この映画を見ていて、少し前に、おそらくはホピ族の居留地に彷徨い込んでしまった夜の記憶が、生々しく蘇った。アリゾナ北部の荒野でのことだ。星空を長時間露光で撮影していた我々はふと、完璧に無人だったはずの闇の中に、いつの間にか巨大なピックアップトラックが出現していこと気付いた。何百メートルかの距離を置いて、背後からこちらをじっと観察している様子だった。

しばらくするとそいつはハイビームのままじわりと接近し、こちらの運転席の横にピタリと停止した。何を語りかけても、ライトが消されることはなかった。光のせいで相手の顔は見えなかったが、先住民訛りの英語で誰何する男は、我々と同じくらい怯えていたに違いない。暗闇の中に長居する我々は、どこまでも不穏な存在だっただろう。

ライトごしにぼんやりとしたシルエットが見えるばかりで、彼が単独だったかどうかは確信を持てない。手元もハッキリしなかった。こちらは、脂汗を流しながら満面に笑みを浮かべ、両手を光の中に晒したままにしていたが、急激な動きがどんなことを招くのかは、肌で感じ取ることができた。まさにこの映画で描かれているあの瞬間が、手で触れられそうなくらい近くにまでやってきていたのだ。

公開情報

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7月27日(金)より角川シネマ有楽町ほか全国ロードショー公開中
配給:KADOKAWA