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ぐらんぐらんの手触り

中村高寛『禅と骨』

文=

updated 08.29.2017

1918(大正7)年生まれ。母は元新橋芸者。父はドイツ系アメリカ人で、映画配給会社の極東支部長。横浜に生まれ、幼年期を富裕階層としてすごすが、9歳(1928年)のときに父が次兄と共にアメリカに帰国してからは、母と長兄と三人での厳しい生活を余儀なくされる。折からの大恐慌の影響からか、父からの仕送りも連絡も途絶えがちとなったのである。

日米開戦前夜の1940年に渡米するがまもなく開戦、強制収容所に収容される。所内で結婚、長男長女をもうける。1952年にアメリカ市民権が回復、技術者としての職にも就きながら家具のデザインをするなど幅広い活動をする。1955年に亡くなった母とは、二度と相まみえることがないままだった。

そのこともあってか、強烈に日本へと吸い寄せられていき、長女を日本の高校へ入学させた後1961年、41歳の時、21年ぶりに帰国し、京都の妙心寺に身を寄せる。のみならず裏千家茶道研究所に入学し、住み込みで茶道を修める。

1965年には、軍籍にあった長男以外の家族全員を日本へ呼び寄せ、1973年には天竜寺僧侶となった。54歳とときのことである。

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彼の名は、ヘンリ・ミトワ。事ほどさように、あまりにもわかりやすいアイデンティティの混乱ぶりだが、時代背景も考え合わせると、そう一言で済ましてしまえるものではけっしてない。だがおそらくは、そうした不安定な基部を補完するように、と言ってはまた安易にすぎるのだが、いずれにせよ憑かれたように次から次へと「情熱の対象」に手をのばしていった人だった。

その彼が晩年に辿り着いた「情熱」が、映画だった。通訳および出演者のひとりとして参加した映画『動天』(舛田利雄/91)の現場に魅せられ、菊池寛による『赤い靴はいてた女の子』の映画化に、晩年の自らの人生を傾けたのである。

このドキュメンタリーの入り口は、そのあたりに設定されている。横浜→赤い靴の女の子→映画化に身を捧げる僧侶がいる→その人はアメリカ人とのハーフ→しかも京都に住む僧侶、といった道筋でわれわれはミトワと出会う。

当然、「赤い靴の女の子」の話なんかより、ミトワ自身の人生の物語の方がはるかに興味深いというのは、誰もが第一印象で感じることである。映画化に力を貸そうとした人たちも、そのことをつとに指摘したのだそうだ。「あなた自身の人生を映画化した方がいい」と。だが、ミトワにはとっては認められる話ではなかった。それでも「目的のための手段として受け止めてみては」ということではじまったのが、本作の撮影だったのだろう。

かくて、ミトワの上機嫌な毒舌混じりのおしゃべりにはじまり、これは「頑固ジジイのゆかいな映画だ」と気持ちよくスクリーンを眺め始める。するとたしかに各所で笑いは絶えないのだが、その飄々とした人あたりは、あまりに痛々しい人生の時間によってえぐられたでこぼこの表面を平滑化して見せているにすぎないのではとすら感じられ始めるのだ。

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映画の語り口としては、インタヴューや当人たちの過去の写真、それに家族フィルムのフッテージだけでなく、俳優たちの身体を使った「再現ドラマ」パートも導入され、物語がわれわれに生々しく迫る。しかもその手つきには、あぶなっかしいところはなかった。戦前から戦後にいたる年代記を、たっぷり見せられたという感触が残るのだ。近年の作品でいえば、日系人や強制収容所を扱ったジェイ・ルービンの小説『日々の光』を思い起こさせるだろう。

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だがしかし、話はそれだけに終わらない。なにしろ、われわれは傍観者としてミトワの人生を眺めていればいいだけなのだが、アイデンティティの混乱した過活動の父親に翻弄され、離れたくもないアメリカを離れ、基本的には異国の地でしかなかった日本に移住させられた妻と二人の娘たちの存在もまた、この映画は忘れていないのだ。

アメリカに残ることができ、そういう意味では姉妹よりも安定した人生を手に入れることが出来たと思われる長男ですら、「父は優しい暴君です」という意味の言葉を漏らしている。おそらくは、家族がなめなければならなかった困難こそ、本来はミトワだけのものであったはずの苦しみなのだろう。

東奔西走によって自らの中心にある空虚を埋めたミトワの傍らで、そうした代償物を持たず、あえていえばミトワの人生が少しでも充実している様子なのを眺めることだけを糧にしなければならなかった妻。家族には家族にしか分からない関係性や論理や事情があることに異論はないが、そんな風に考えるときこの「飄々ジジイ」には腹が立ち始めるし、腹が立った瞬間、ミトワの人生の痛ましさに言葉を失う気持ちになったりもする。同時に、そんなこと余計なお世話だろうとも。

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正直なところ『禅と骨』というタイトルは腑に落ちるものではないし、各パートは安定感のある立派なものとして完成されているものの、映画そのものはミトワの人生ほどにぐらんぐらんと感じた。

だがもちろん、それがこの作品の価値を下げることはないし、ましてや面白さを減じさせることもない。監督はあるときぐらんぐらんでいいと腹を据えたのだろう。言ってしまえば、ミトワといっしょに根底から迷い揺れ動いたことでこの映画は、「面白いテーマが見つかってよかったね」という、「良質なドキュメンタリー」の次元をはるかに超えた作品となった。

「二つの国の狭間」だとか「アイデンティティの危機」だとか「変人」だとか「歴史に翻弄された」だとかなんとか、とにかくありとあらゆる安易な言語化を拒絶した人間の「面倒くさくて魅力的な」と片付けるのすらイヤなかんじのする、この世に残した圧倒的な手触りを映画としてわれわれに体験させることに成功しているのだから。

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公開情報

9/2(土)より、 ポレポレ東中野 キネカ大森 横浜ニューテアトルほか全国順次公開
公式サイト:www.transformer.co.jp/m/zenandbones/
配給:トランスフォーマー
©大丈夫・人人FILMS