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〝最後の人〟

クレイグ・ゾベル『死の谷間』

文=

updated 06.24.2018

大きく起伏しながらどこまでも森林が広がっている。その中に、一人の女性の姿がある。引き連れている犬に導かれて斜面を下りると道路に行き当たり、防護服を着た人間が大きな運搬車のようなものを苦しそうに引きながら進んでいる。女性の身軽な様子に比べて、その防護服は可笑しいくらい大仰に見える。

この女性アン(マーゴット・ロビー)の住む谷間を例外として、人類はほぼ死に絶えたということなのだが、その原因が明確に示されることはない。あたりまえに考えるなら、核戦争のようなものが起こったのだろう。だが、防護服の中から出てきた男ジョン(キウェテル・イジョフォー)が〝汚染水〟に触れることで重篤な状態に陥り、アンの看護によってそこから回復する様子を眺めていると、人類の滅亡は放射線だけによるものではないようにも思えてくる。

もちろん、そこからの展開を見れば、滅亡の原因そのものは大きな意味を持たないようでもある。しかしながら、どうやら敬虔な宗教者たちの住む場所だったとおぼしきアンの谷間だけが絶滅を免れ得たという事実(谷に住むほかの人々は生存者を捜索しに出かけていって、帰ってこなかったと説明される)、そしてアンの祈りが聞き遂げられたかのように死の淵から生還するジョンの姿を眺めていると、物語の始まる前に起こった災厄には、〝人類の愚行〟の結果といった紋切り型には収まらない必然性があるのではないかとも考えさせられる。

ともかく、アンの祈りは成就する。ジョンはアンの家で暮らし始め、身体の回復とともに、生活基盤の回復に力を尽くすようになるのだ。やがて、集落に一軒だけある小さな教会を解体すればその木材から水車を作ることができ、それによって電気を復活させられることにジョンは気付く。災厄以前の世界で、ジョンは科学者だったのだ。だが、父の建てた教会を解体するという方法に、理屈を越えた痛みを覚えるアンは、賛同することができない。もちろんジョンの方にも、アンの気持ちを踏みにじるつもりはない。

まもなく、当然の成り行きとして二人の間に性的な緊張が立ち上がる。行動を起こすのはアンで、ジョンは欲望を理屈によって宙づりにする。「時間はたっぷりあるのだから、あわてずゆっくり関係性を育てよう」というわけだ。明らかに10歳以上年上のオヤジであるジョンにとっては、ある種の〝プレイ〟の側面すらあったかもしれない。

そういう意味でも、この態度は一見、成熟とも強さとも見える。だが実のところ、弱さのあらわれそのものであることは、第三の人間である若者ケイレブ(クリス・パイン)の登場によって明らかにされる。そもそもケイレブの存在そのものが、ジョンの態度に失望したアンの祈りが成就したものという可能性もある。あるいは、ジョンのおそれが形になって現れたものかもしれない。若く率直で、とにかく一般的な意味での性的魅力にあふれた男なのだから。ケイレブとアンの距離は縮まり、それでようやくジョンは自らの欲望を直視する。

欲望は他者によって定義されるというおなじみの力学だが、ここではむしろこの世界のあり方そのものがアンの祈り、つまりは欲望によって定義されているのではないかという疑問が頭をもたげる。信仰の力で生き残り、祈りの強度のみによって終末後の世界、すなわち谷間の風景を生成したのではないか。

そう考え始めると、たとえば彼女の生きて来た、篤い信仰によって結ばれた共同体とは、ほんとうはどんなものだったのかと薄気味悪くもなるだろう。そもそもほかの住民たちは、ほんとうに生存者を探索するために出て行ったのだろうか。何らかの理由からアンは彼らの消滅を願ったのではないか。映画のラストに訪れた(かもしれない)のは悲劇ではなく、まさに彼女の望んだことだったのかもしれない。

原題は「Z for Zachariah」という。原作では、聖書に登場する名前でアルファベットを覚えようという、幼年時代のアンが使った絵本のタイトルとして登場するらしい。「AはアダムのA、BはベンジャミンのB……」というぐあいに続き、最後のZにあたるのがZachariahなのだとか。

〝最後の人〟ザカリアとなるのが、アンの欲望なのだとしたら、いろんなことがすっきりする。これはなにもこの女性キャラクターが潜在的に抱えている欲望の恐ろしさということなどではなく、普遍的な感覚なのではないだろうか。この映画で描かれるような終末世界に、我々が心惹かれるのは、そのためだといつも思う。

なおここに登場する風景は、なんとなくディープ・サウスの匂いを感じさせつつも、どこかしっくりこないという不思議な魅力を持っている。そう考えていたら、ニュージーランドで撮影されたのだそうだ。その微妙な違和感こそが狙いであったとしたならば、ますますこの谷間はアンの欲望が具現化した世界であるという風に思えてくるではないか。そんな味わいのある映画だった。

公開情報

6月23日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー公開中
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