1993年、高校演劇の舞台上で主演の生徒が死ぬ。舞台装置だった絞首台が、なぜか実際に機能してしまったのだ。それから20年後の同じ舞台では、同じ演目の稽古が進んでいる。
主役を演じるリース(リース・ミシュラー)はもともとアメフト選手で、ヒロイン役の女子ファイファー(ファイファー・ブラウン)に惹かれて演劇に関わっているに過ぎない。芝居も一向に上達せず、ファイファーの期待に応えられないのではないかと内心脅えている。
一方、現役アメフト部員のライアン(ライアン・シューズ)は、記録係としてビデオカメラを回しながら、すべてを茶化し続けている。リースにもまた、「お前のやることじゃない」と芝居の放棄をそそのかす。
そして本番前夜、とうとうライアンはリースを説き落とし、ガール・フレンドのチアリーダーのキャシディ(キャシディ・ギフォード)も同行させて校舎に侵入する。夜のうちに舞台装置を破壊し尽くせば、上演はいやおうなく中止になるだろうという目論見である。だがひとたび講堂内に足を踏み入れてみると、鍵のかからないはずの扉がびくともしなくなり……。
というお話が、主観カメラによるいわゆる“フェイク・ドキュメンタリー”形式で展開される。93年の家庭用ビデオ、そして現代のデジタル・ビデオ、スマートフォンのカメラなどなど何種類ものカメラで撮られた(風の)映像が、巧みに切り替えられる。そのうえにはもちろん、隅々まで加工された音響トラックがのせられ、観客は文字通りお化け屋敷の中を主人公たちと共に彷徨うという体験をすることになる。
上述のように、心霊ものホラー映画のお約束を押さえた脚本が用意されていて演技もまともだし、予算だって日本映画に比べたらさほど乏しいというわけもないのだろうから、いっそ普通の劇映画スタイルで撮ってくれたらいいのにと、疲労した眼球をもみながら思わないでもないが、まあ、プロデューサーであるジェイソン・ブラム(『パラノーマル・アクティビティ』シリーズなど)の中には、予算規模とネタによって明確なカテゴリー分けがあるのだろう。
そもそも手持ちカメラ映像に映り込むものを必死で追うことに気を取られていると、ふいの爆音SEでビクッと飛び上がらせられるというのが、観客を怖がらせるシステムとして確立された方法論なのであって、それはたしかに機能している。実際、手持ちカメラ映像というのは、“見にくい”が故に観客側の参加度合いを強化する効果を持つ。ただし時折、怖いのかびっくりしているのか自分でもわからなくはなるのだが。
ところで、カメラ酔いのあまり時折スクリーンの端に視線をおくことで目を休めていると、実はそうやって中心部以外の視界で映像を眺めた方が、いかにも禍々しいことが進行中であるというイヤな手ざわりを感じることができた。結局のところ、そういうものなのかもしれない。
公開情報
(C)2015 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.
8月22日(土)、新宿ピカデリー他 全国ロードショー
配給: ワーナー・ブラザース映画
公式サイト: http://www.shiryoukoukou.jp/
facebook公式ページ: www.facebook.com/warnerbrosjpn
twitter公式ページ : @warnerjp