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グザヴィエ・ドラン『トム・アット・ザ・ファーム』

出現したり消滅したり

文=

updated 10.23.2014

これは、突然出現したり消えたりする人影の映画である。

まず、主人公トム(グザヴィエ・ドラン)本人が、廃墟のように見える農場に突如姿を現す。人影はどこにもない。鍵を見つけて勝手に屋内に入ると、ついさっきまで誰かが生活していたという痕跡はあるが、人の姿はない。無人のままポルトガル沖を漂流していたというメアリー・セレスト号事件を思わせる懐かしい怪奇の雰囲気もある。

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食堂で眠り込んだトムを見つめる女性の人影が突如現れる。「驚かされた」というそのセリフほどの衝撃を感じさせることもなく、彼女=アガット(リズ・ロワ)はトムの存在を受け入れたように見える。ぼそぼそと交わされる会話からは、彼女がトムの“友人”=ギヨームの母親で、トムはそのギヨームの葬儀に出席すべく実家を訪れたのだという事情がほの見え始める。

夜、ギヨームの兄フランシス(ピエール=イヴ・カルディナル)が突然出現し、母親には弟の“秘密”を明かさず“友人”として葬儀に参加しろとトムの首を締め上げる。それで、ようやくギヨームというのはトムの恋人であったことがハッキリする。

葬儀の場では、今度はフランシスが姿を消し、もしかするとフランシスというのは存在していないのではないかという疑いすらが頭を過ぎるだろう。亡き恋人の実家にやって来た男が、母親の姿を通して存在しない兄の亡霊を見ているのではないかと。いや、もしかすると兄のように見えて、こいつこそが死んだギヨームの亡霊なのかもしれない。とすると、一向に明かされないまま“秘密”の一部を構成しているように見えるギヨームの死を巡る状況も怪しい。トムが殺したのではないか。いや、フランシスが実在するとするなら、この暴力的な兄によってギヨームは遥か昔に殺されていて、トムの恋人だった者こそ亡霊で……とまで妄想は拡がるのだが結局そんなことはないらしく、物語は続いていく。

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それでも人影の出現は止まず、フランシスとトムの間に生まれた、暴力によって捻れあがった同性愛感情が最高潮に達した瞬間には、アガットが突然姿を現す。誰もが、どこかに姿を現し、何かを目撃したり聞いたりするのだが、それが現実の行く末を変える力を持たないというもどかしさが、全編を支配し続ける。

その印象は、農場を包み込む濃霧や篠突く雨といったものによって強化され、いつでも脱出できそうなのにウソと暴力によって支配された農場を心理的に抜け出せないトムの姿を見ていると、安部公房『砂の女』の遙かな残響すら聞こえてくるような気持ちになる。いや、原作はミシェル・マルク・ブシャールというカナダの現代演劇作家による戯曲ということなので、これはあながち妄想でもないのだろう。

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かくして、ケベックの保守的な田舎町で“同性愛”の秘密を巡って展開される人間ドラマというどこまでもちんまりとした物語を、大きく乱暴な筆致を用いて語ろうとすることで、“跳ね”や“払い”をたっぷりと付け加え、その余剰部分だけで別の物語が生成させかねないほどの間隙や余白や切断面を見せるのがこの映画、ということになるのだろう。ガブリエル・ヤレドの音楽によって増幅されたその場所に、人影が現れる。

そういう意味で、これは人が出現したり消えたりする映画であるし、それ以上でもそれ以下でもない。それ故に、ギリギリのところで面白さを獲得した映画なのだろう。

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公開情報

2014年10月25日、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンク、テアトル梅田ほか、全国順次公開
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