そういえば、リメイク版『死霊のはらわた』の中で、悪霊に取り憑かれて仲間を殺しまくるヒロインは、ドラッグへのアディクション(依存症)を抱えていた。そのせいで、どんなに怖ろしいモノを見ても、すべては「禁断症状の幻覚なのだから」とまともに取り合ってもらえない。
そもそも悪霊の側もまた、ドラッグが抜けつつある精神と肉体の空隙に入り込むようにして、あるいはその空隙によって吸い込まれるようにして彼女に取り憑くわけで、いかにアディクションというものが、2013年あたりの我々の社会における「悪霊」のリアリティを担保するものとして機能しているのかということに気づかされ、興味深かったのだった。
不吉なものはすべて内側からやって来るものであり、その戦いは必然的に孤独なものである。それ故、善意に充ちた周囲の人々の温かい支援など、事態を悪化させることはあっても何の役にも立たない、という現実。
そういう意味で、この作品『ファインドアウト』のヒロイン(アマンダ・セイフライド)もまた同じ場所にいる。ただし、アディクションを抱えているのではない。いや、トラウマへのアディクションとでも言うべきものを抱えていると見なされているのか。
つまり、過去の体験によって大きく精神のバランスを崩し、しばらく強制入院されられていたが故に、彼女の訴えはすべて精神の病に帰せられてしまうのである。というより、そうした訴えこそが彼女の生を支えているのではないか、と。
そもそも、最初のトラウマであるはずの自身の拉致事件すらが彼女の中にしかないものではないかと疑われているのだから、その経験に基づいて行動を起こす彼女の姿を外部——例えば警察の側——から眺めれば、「トラウマにすがることで、ぎりぎり社会生活を営んでいる女の狂騒」ということにしかならない。
同居する妹が姿を消した時、ヒロインは同一犯による拉致だとすぐに直感するのだが、そういう理由でむしろ彼女の方が「(銃を持った)危険な精神病患者」とされ、警察に追われるハメになるのだ。
そして実際、忠実と言って良いほどにその枠組みの内側で展開されていくのがこの映画なのだが、微少ではあっても決定的な現代性をこの作品にもたらしているものが、ひとつあるとどうしても感じさせられた。
つまり、当人がどれほどリアルで切迫した状況に直面していても、すべてはその人間の内部にしかなく、周囲の者が出来るのは、せいぜいその内部にあるものによって当人自身が物理的な傷を負わないように配慮することぐらいなのだという生ぬるい善意の見守りによって、ある重要かつ巨大で明白な現実が隠蔽され続けているのではない、という恐れの感覚がそこにはないだろうか。
一見極めて古典的な展開を見せ、あっけないが故にちょっとだけリアルな感覚さえ抱かせる結末を持つこの映画を、意外にもわりと面白く見られてしまったのは、それがあったからに違いない。そして、こういう映画の主人公の多くが女性であるということも興味深くはあるだろう。
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『ファインドアウト』 6月15日(土)新宿武蔵野館ほか全国ロードショー 公式サイト http://findout-movie.jp/ (C) 2012 LAKESHORE ENTERTAINMENT GROUP LLC All Rights Reserved. . 配給:ショウゲート |
初出
2013.06.14 18:00 | FILMS