“これは映画ではない”。だからまずは、相も変わらず凡庸な現実(なにしろ東京では何を“表現”しても検挙されることはない。もちろん、その“何を”の中からは当然の了解事項として排除されるいくつかの主題はあるわけだが)を生きている人間としては、政治的理由から軟禁されているという“現実”を、その“現実”に依拠しながらある種のフェイク・ドキュメンタリーとして“映画化”できることそのものに、微かな羨望を覚えないと言ってしまってはウソになるだろう、と凡庸なことを記しておく。
なにしろこれは“映画ではない”のだから、イラン社会と監督の置かれた状況というコンテクストを排除したところでは、受容のしようがない。だがしかしここに映し出されているのは、“映画”ではなくその“現実”そのものなのだから、その点については何らの批判を受ける道理もない。
ならばなぜそんなところ(イラン)からさっさと脱出してしまわないのか。脱出できるだけのコネクションと経済的手段は国内外にありあまるほど持っているだろうに。というのが観客の抱く第一の反応だろう。ほとんど、共依存関係の泥沼にはまり込んでいるDVカップルを見るようないらだちを覚えないだろうか。「なら逃げ出せよ!」と。そうして、そうした説得がムダであるのなら、「もう勝手にしろ」と言い放ちたくなるのが人情というものではないだろうか。
だがもちろん、そうしたことをすべて了解した上で、この“映像”は作り上げられている。どうしようもない悲喜劇の被害者と加害者は明確に分別できず、すべてが渾然一体となって現実を作り上げているのであり、己もまたその現実の一部である以上、そこを脱出することが解決ではなく、まさに精神医学的な治療だけが対処法なのだと、我々は理解することになるだろう。
というところまで射程に入れて作られたのであるとすれば、恐るべき“映画”ではないか。
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『これは映画ではない』
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©Jafar Panahi and Mojtaba Mirtahmasb
http://www.eigadewanai.com/
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ビハインド・ザ・シーンはアートディレクターの箭内道彦さんです!
初出
2012.09.28 10:00 | FILMS