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テレンス・マリック監督
『ツリー・オブ・ライフ』

「今」についてのサスペンス

文=

updated 08.12.2011

マジック・アワー前後の逆光、50年代とおぼしき住宅街の中に佇む家族、彼らに寄り添いながら距離を置くカメラワークと位置関係。親密さと不穏さに充ちた映像の連なりから、突如銀河の果てに飛ぶ視点。創生期の惑星。そして鉄とガラスのビル。

短い予告篇の陶酔的な時間に接した段階では、滅び行く地球にいる男が、自らの幼年期である50年代を回想しながら、現在を生きるというSFなのだろうか、と考えてみたわけだが、実際、その想像はあたらずとも遠からずといったところをかすめていた。

たしかに、50年代テキサスに生きる家族の物語であり、長じた息子のひとりが過去の記憶をまさぐりながら現在を生きるよすがを求めているという物語でもあり、同時に、銀河が誕生し惑星が形成され生命が生まれ進化してゆくというこの世のはじめの物語でもあり、さらには、それら極小から極大までのすべてをひとつの流れの中に還元してしまう、ある超越的な視点の物語でもある。その視点は、憐れみや慈しみといった通俗的な宗教性とも無縁に、ただすべてを眺めている。そういう映画だった。

前作『ニュー・ワールド』ですでに徹底されていたように、ここでもあたりまえな映画の文法はすべて捨て去られているが、なにひとつペダンティックに難解化された要素はない。ただひたすら、現実世界そのもののように、ありとあらゆることが起こり得る。そのことが、言語ではない次元において直ちに了解されるだけなのである。

例えば、ジャッキで持ち上げた車体の下に潜り込んで作業をする父親の方へと静かに歩み寄る少年、といったようにほんのちょっとしたショットが、少年の内部に堆積しつつある暴力の強度を顕わにし、我々の心臓を絞り上げる。同様に、一見壮大なだけの間奏曲に見られてしまうかも知れないCGパートもまた、あらゆる可能性が「現在」へと収斂してゆくこの世界の物語を語り、無数の破壊を孕みながらもギリギリその姿を保っている「現在」そのものの危うい均衡を体験させる。

事ほど左様に、すべての出来事の萌芽が、今、目の前に展開されている出来事の中に包含されている。銀河の誕生と、生き延びる恐竜と、強権的な父親と、世界と和解する兄とはすべて、お互いがお互いを内包し合っている。それ故に、今起きている出来事のひとつひとつが奇跡ということになる。その「今」の中には、50年代テキサスのある夕暮れも含まれるし、地球が誕生した直後のある一日も同じように含まれる。

そういうわけでこの作品は、哲学的な思索をひとりよがりに続けてみせる映画ではなく、今この瞬間を生きる我々の日常の時間そのものについての、一瞬たりとも気を抜けないサスペンスであり、その意味できわめて上質な娯楽映画ということになるのだ。

『ツリー・オブ・ライフ』
8月12日(金)全国ロードショー

□ オフィシャルサイト
http://www.movies.co.jp/tree-life/

公開情報

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初出

2011.08.12 13:00 | FILMS