「老兵」の論理 文=川本ケン 激しい戦闘の翌朝。手作りの(身体に矢が刺さっているように見える)小さな仕掛けを使い、死んだふりをすることで生き延びた一人の雑兵=ジャッキー・チェンが起き上がる。しばらくして、その戦場で生き延びた男がもう一人いることがわかる。それが、敵方の将軍=ワン・リーホンである。手傷を負っていることをいいことに、雑兵は将軍を捕虜にし、報奨金を獲得するべく故郷に向けた旅をはじめる。というのがこの映画の幕開け部分である。 雑兵は死んだふりの卑怯をなじられても、戦場では生き延びることこそが最も重要な行為なのだと意に介さない。武術に抜きんでているわけではないが生きる知恵には長けた老練な兵士と、若く育ちの良い武士として高潔な将軍という対照的なふたりが、敵同士として対立しながらも、やむなく協力関係を結んだかと思えばまただまし合うといった具合に、道中を共にすることになる。 敵同士が理解し合う間柄になるというコメディ要素の入った物語の場合、観客がふたりに感情移入し「この連中が味方同士だったらいいのになあ!」という思いを募らせたちょうどその頃合いに、協力し合わなければいけない状況が到来し、観客は喝采しながらスクリーンを見つめる、という具合に展開させなければならない。 そのためには、彼らの生が依拠する論理が相容れないものであること、また、彼らがその論理に忠実な者たちであることを常に鮮明にしておかなければならない。そこがグズグズになり、「状況が違ったら俺たちは親友になれたな」というようなセリフを吐かせるタイミングをほんの少しでも誤れば、ただの馴れ合い劇に墜ち、気色悪いことこの上ないという具合になってしまうわけだが、この作品においては、見事にそのバランスが保たれている。 ジャッキー・チェンの老兵ぶりと、ワン・リーホンの青臭い生真面目さがくっきりと際立ち、最後までハラハラと固唾を呑んでふたりの命運を見守ることになるのである。 戦場においては、生き延びることこそ唯一正しい行為なのだ。というテーゼを耳にすると、もちろん我々はサミュエル・フラー『最前線物語』のリー・マーヴィンを思い起こさざるを得ない。 その時に、ある若者の一団を率いていたマーヴィンと、敵方の将軍ひとりを引きずり回しているこの映画でのジャッキーの役柄をそのまま対比させてしまうと、普遍的な説得力の次元では、どうしても前者にかなうわけがない。だが、確信と知恵に充ちていながら、マーヴィンほどには強くない、それ故に卑怯にも見えるせせこましい行動を繰り返すという本作での「老兵」のあり方の方が、はるかに強い現代性を持っているようには感じられないだろうか。であるが故に、ラストにおけるジャッキー・チェンの行動には、首をひねることになる。そこで「老兵」は、自身の論理に完全に逆らってしまうのだから。 ただその一瞬後、エピローグでのナレーションによって、「老兵」の論理は「若き将軍」へと感染し、より大きな状況を発生させ得たことが明らかとなるに至り、我々は安心して胸を熱くすることができるのである。 『ラスト・ソルジャー』 渋東シネタワーほか全国ロードショー 【関連サイト】 『ラスト・ソルジャー』オフィシャルサイト www.lastsoldier.jp
公開情報
©2010 JACKIE & JJ PRODUCTIONS LTD
初出
2010.11.16 11:00 | FILMS