レオス・カラックスの新作『ホーリー・モーターズ』の主人公オスカーもまた、リムジンに乗って一日を過ごしていた。『コズモポリス』の主人公エリック・パッカー(=ロバート・パティンソン)と違う点は、オスカーにとってのリムジンは移動の手段であり、生まれ変わるための場所であるのに対して、パッカーにとってのリムジンは、移動の手段というよりは彼にとっての世界そのものであることだろう。オスカーはリムジンの外部に身体を晒すことで世界を支えているが、パッカーはリムジンの内部から世界を支配している。もしかすると、オスカーをひとつの「アポ」から次の「アポ」へと走らせ続けているのは、パッカーなのかも知れないとすら妄想したくなる。
28歳にして巨万の富を持つエリック・パッカーは、最先端のテクノロジーを用いた取引によって、もはや一歩もリムジンから出る必要なく金を稼ぎ続けている。すべての人間がリムジンまでやって来て彼に会う。会いに来た人間には、何をしても許される。車内はオフィスであり、ベッドルームであり、クリニックであり、ヤリ部屋でもある。要するに、金があればなんでもできるという、もっとも剥き出しな資本主義を体現し、毎日を生きている。
だが、すべてが可能となった彼の毎日は、我々が想像するとおりに空虚なものだ。もはや強烈な快楽を与えるものはなにひとつない。なにものにも、どんな感情もかきたてられることがない。それ故に不可能なものへ、理不尽な欲望へ、命の危険へとパッカーは吸引されてゆく。
例えば、婚約者に対して特別な感情を抱いているようには見えないが、彼女との距離が埋められない、すなわち彼女がリムジンに乗り込んでこないという一点において彼女に惹き寄せられ、リムジンの外に出る。外に出ては拒絶され、車に戻る。
要するに、極めて原作に忠実でありながら、ここでは極めてクローネンバーグ的な物語が語られている。クローネンバーグの作品に親しんだ者は、その足掻きが到達する先について最初からうっすらと想像がつくことだろう。そして、どんな事態が主人公を待っているのかを見届けて、深い満足のため息を漏らすことになる。
10年前に書かれた原作小説の持つアクチュアリティに驚きながら、いまや現実そのものがクローネンバーグの世界にシンクロしはじめていることに、戦慄しよう。これはSFではない。
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『コズモポリス』
4月13日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、
新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
(C)2012_COSMOPOLIS PRODUCTIONS INC. / ALFAMA
FILMS PRODUCTION / FRANCE 2 CINEMA
公式サイト http://cosmopolis.jp/
初出
2013.04.05 15:00 | FILMS