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ウェス・アンダーソン監督
『ムーンライズキングダム』

純粋と野蛮

文=

updated 02.13.2013

もちろんウェス・アンダーソンの映画はいつでも面白かったのだが、正直なところ『ダージリン急行』と短編「ホテル・シュヴァリエ」まで見てくると、そのせせこましさにうんざりという気分にはなった。おそらくは自分でもせせこましさに関する自覚はあって、そのために広大なインドの大地を移動する『ダージリン急行』を作ったに違いないのだが、結果としてはなにかがうまくいっていないという感覚のつきまとう、それが狙いというのならそれでもいいのだが、でも「これって面白いでしょう!」と本人が思っているほどにその部分が面白いということはないし、そもそもそういうものがそこまで面白くなり得るとも思えないし、「ウェス・アンダーソンもとうとう時代とのシンクロが外れたのだ」というレッテルを貼ってしまっていた。

ところが、半信半疑ながらクレイアニメの魅力に惹かれて『ファンタスティックMR.FOX』を見てみると、『ダージリン急行』に関して感じたことは間違っていなかったけれど、ウェス・アンダーソンが己の欲望をほぼ完全に具現化したのであろうこの作品に封じ込まれていたものは、まだまだ有効性を保っていることがわかったのであった。

つまり、ウェス・アンダーソン作品において「家族の再生あるいは疑似家族の生成」という表側のテーマにピタリと貼り付き表裏一体をなしてきた、「純粋さの持つ野蛮な力」というものが、『ファンタスティック〜』ではこれまで以上に明確な形を与えられ、前景化していたのである。

 

家族というシステムを否応なく崩壊させると同時に、別の家族を生成しようとするその「野蛮な力」は、言葉を換えてみれば、この社会を突き崩すことがすなわちもうひとつのあり得べき社会を現出させようとすることに他ならないことを示してもいるわけで、今こそ我々が具体的に必要としているものではないか。

そしてこの最新作『ムーンライズ・キングダム』は、その力をもっとも端的な形で物語化し、それを語ることに自らの持つ映像的なフェティシズムをほぼ完璧に奉仕させ得たという、現時点での到達点と言えるだろう。

 

崩壊の淵にある家族の元を逃げ出すひとりの少女。そして、そもそも孤児としていかなる社会にも属していないひとりの少年は、ボーイスカウトという疑似共同体からも逃げ出す。ふたりは共に逃避行を続け、やがて辿り着いた小さな入り江を「ムーンライズ・キングダム」と名付けるのである。

60年代という時代設定も功を奏し、すみずみにまでアンダーソンの美意識が行き届いている。フィルムの粒子感も、画面構成も、色味も、物語のフォルムも、語りのリズムも、音楽も、ファッションも、なにもかもが見事に欲望を具現化していることがわかる。それにも関わらず、映画を牽引する「野蛮な力」によって、せせこましい閉塞感はない。そしてなによりもラストでは、迷うことなく大団円を選択し、一点の露悪もない。

これ以上のウェス・アンダーソン作品に出会うことは難しいかも知れないが、この映画が生まれたことを感謝しよう。

☆ ☆ ☆

 
『ムーンライズキングダム』
TOHOシネマズシャンテ、新宿バルト9、シネマライズほかにて全国公開中!
(c) 2012 MOONRISE LLC. All Rights Reserved.
オフィシャルサイト http://moonrisekingdom.jp/

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初出

2013.02.13 15:30 | FILMS