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エマニュエル・ギベール
『アランの戦争』

生を肯定するための戦争

文=

updated 02.16.2011

昨年末刊行され始めた国書刊行会「BDコレクション」シリーズの第三弾。BDの中でも特に地味な作品を選んでいるようにすら見えたこの「コレクション」の勇気には感服するほかないのだが、正直なところ一冊目の『イビクス』、二冊目の『ひとりぼっち』には手が伸びなかった。それはおそらく、一般の読者が「BD」と聞いて、しかもそれがフランス語圏で独特の進化を遂げた「コミック」を意味すると知っている場合に感じるのと同じ種類おそれが故のものだろう。すなわち、「アート性」の高さがその作品のアイデンティティのひとつになっている場合、「面白くなさ」と「アート性」がきわめて中途半端なレベルで同義語となっていることがままある、という先入観である。結局前二作については未読なのでその先入観が誤っていたかどうかはわからないのだが、本作について言えば、タイトルを目にしただけではそうした先入観を起動させられなかったし、言葉の最良の意味での文学的な興奮を与えられた。

要するに「面白い」ということなのだが、なぜ面白いのか、なかなか言葉にすることができない。ひとつあきらかなことは、「あらすじ」が面白いからではないということ。タイトルにあるとおり、主人公(語り手=回想の主体)のアランは第二次大戦末期のヨーロッパ戦線に従軍し、当然いくつかの死を目撃するのだが、大作戦争映画のように凄まじいアクションや極悪非道な戦争犯罪を経験するわけではない。しかも、巻のおおよそ半ばあたりでその戦争も終幕を迎える。ではなにに引き込まれてページを繰ってゆくことになるのか。もちろん、視覚的な悦びも大きな要因のひとつではあるだろう。だが、単に絵が巧いから面白い、ということではない。

きわめて巧みな省略と抽象化を施された絵が、意味や教訓を引き出せそうで引き出せないという人生の細かで微妙なエピソードの積み重ねを絶妙なバランスで我々の眼前に展開し、他者の人生を夢として体験しているとでもいったような状態へと静かに読者を導き上げるのである。結果、物語としてなにが起こったということではないのだが、最終ページに辿り着く頃には、ある厚みと長さを持った人生を十全に生きたという感覚だけが残る。決して脳天気な認識が示されるわけではない。むしろ厳しく冷たい現実が提示されることの方が多い。それでも総体としてはたしかに生が肯定されたという感覚だけが残る、と言い換えることもできる。つまりは、生を肯定するための静かな戦争、とでも呼んだら良いのだろうか。それがアランの戦争であり、我々の戦争なのである。

『アランの戦争 アラン・イングラム・コープの回想録』
エマニュエル・ギベール/野田謙介訳/国書刊行会

□amazon
http://www.amazon.co.jp/dp/4336052948

初出

2011.02.16 08:00 | BOOKS