CARLOS

オリヴィエ・アサイヤス監督
『カルロス』

実はアクロバティックな批評行為

文=

updated 08.29.2012

ひとことで言えば、カルロスという実在の“テロリスト”をひとりのロック・スターのように描く。もちろんロック・スターを、アクション・ヒーローと言い換えても良い。だから、5時間30分という上映時間に恐れをなす必要はまったくない、非常に良くできたストレートな娯楽映画として退屈する暇はないのである。

ひとりの青年が、左翼の解放運動に対してロマンティックに共鳴し、その中に身を投じる。必要に応じてというよりも気分の盛り上がるまま過激に暴力を行使し、手当たり次第に女を自分のものにしながら世界中を飛び回る。スリルに満ちた生活を送りながら、しかもそれを正当化する大義名分まで持つという、ぼんやりと毎日を生きる我々からすればうらやましいとしか言いようのない“スター”のきらびやかな生活を、カルロスは送るのである。だが、彼の活躍した70年代というのは“革命”が終焉を迎える時期とも重なっている。次第にどの勢力からも疎んじられ、各所から追放され、アクションの舞台は狭まり、ついに94年、潜伏先のスーダン政府によってフランスに引き渡され、スターの命運は尽きるというところで映画は幕を閉じる。


©Film en Stock / CANAL+ / Photographe : Jean-Claude Moireau

とはいえ映画そのものが、カルロスの依拠していたロマンティックな革命観を共有しているわけではない。手持ちカメラをはじめとする方法論によってリアルな臨場感が終始巧みに生成され、常にその場に立ち会っているかのような感覚が観客を捉える。その上で、例えば最初の“殺し”のシーンにおいては、明らかにスピルバーグ『ミュンヘン』を参照した演出によって、興奮と嫌悪がないまぜになった昂揚すらをも観客に共有させる。しかも、“スター”たるカルロスのわがままさや気まぐれさ、あるいは痛々しいまでの自己顕示欲といったものは、見る者をうんざりさせもする。つまりは、主人公の人間像からは十二分に冷静な距離が保たれているのである。

それを一挙に埋めてしまうのが例によってアサイヤス映画らしい“ロック”なサウンドトラックであり、それによってこの映画は前へ前へと直線的に疾走してゆく。つまり、テロリストをロック・スターのように描くからといって、娯楽に奉仕するための思考停止がおこなわれているわけではないのだ。ロックとロック・スターを批評的に分析し、その結果をフィードバックすることで分析そのものをロックとして提示するというような手つきで、テロリストをつぶさに見つめ、テロそのものであるかのようにテロリストについての映画を撮り上げるという、アクロバティックな批評行為が、ここではおこなわれているのだ。

トップ/ ©Film en Stock / CANAL+ / Photographe : Jean-Claude Moireau

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『カルロス』
9月1日(土)より、5週間限定 渋谷シアター・イメ
ージフォーラム、吉祥寺バウスシアターにて公開!
他、全国順次公開!!


□ オフィシャルサイト
http://www.carlos-movie.com/

初出

2012.08.30 09:30 | FILMS