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クラウディア・リョサ監督
『悲しみのミルク』

穴を通り抜けること

文=

updated 04.15.2011

たしかに文芸映画然とすることで高い評価を得るという種類の映画ではある。そのことに間違いはないが、それだけで片付けてしまえる映画でもない。

クラウディア・リョサというペルー社会においては紛れもない白人特権階級出身者によって撮られなければならなかったという事実と、この映画のヒロインの属する貧困層が生きる過酷な現実という歴史的事実。このふたつの事実よって生み出されるジレンマについて、この映画が十分に意識的であることは見逃してはならないだろう。つまり、ペルー人として物語を語ろうとするとき現実に刻み込まれた外傷としての「問題」に吸い寄せられざるを得ないのだが、そのためにはこの映画そのものが収奪として撮り上げられざるを得なかったという本質的な欺瞞が、ヒロインの歌を収奪する白人女という相似形によって、物語そのものの中に表出している。

そうしたことを踏まえたうえで眺めてみれば、本作にはなかなか捨てがたく映画的なディテイルがいくつも盛り込まれている。もちろんこうした保留を与えられること自体が、この映画の弱さを明かしているのであるし、もしその保留までをも射程に収めてこの主題を選択したというのなら、きわめてしたたかな作り手ということにもなるだろう。いずれせにせよ、本作の持つ映画としての価値は、細部にしかないということでもある。なにしろ大部分の観客にとって、現代ペルーの悲劇などどうでもいいことそのものなのであるから、仮にそうした映画としての魅力から逆算的に主題に辿り着かせようという戦略が存在したとしても、それはそれで真っ当な選択ということができる。

この映画は「穴」の主題を巡って語られる。強姦されることの恐怖から、ヒロインは自らの膣という穴を、そこにジャガイモを押し込むことで閉ざしている。たとえば、一見アーティスティックな戯れに過ぎないように見えてしまう、ヒロインが口に真っ赤な花弁を咥えるというショットも、その主題の中で理解されるべきだろう。口唇はまさしく閉鎖された性器の代替物であり、その口から彼女の唄が溢れ出ることになるのであるから。それはすなわち抑圧されていたものそのものの回帰であり、それが無償の奔出であるときは彼女の母語であるケチュア語で歌われ、白人の女主人の求めに応じた貨幣の代替物として現出するときには収奪者の言語たるスペイン語で歌われる。

そういうわけで、穴を通り抜けるというイメージもまた印象的に提示される。ヒロインが唯一心を許す男を招き入れる時に開かれるのは、邸宅の大きな扉であり、通り抜けられるのはトンネルのように鬱蒼とした植え込みである。また、唄と交換される貨幣となる首飾りの真珠玉は、穴から滑り落ちて床に散乱する。それもまた、穴から奔出したものであるが故に、唄を誘い出すことができるということなのだろう。

また、ヒロインを収奪する白人女もまた、気まぐれないらだちによってピアノを窓から放擲し、いわば邸そのものに大穴をうがつ。だが、自らの体面を保持に執心する音楽家の彼女は、プログラムに穴を空けることで世間の期待を裏切ることができず、ヒロインの唄を窃取するのである。

事ほど左様に穴の主題は映画を充たしてゆく。ヒロインは死去した母親が墓穴に収められることを一貫して拒絶しつづけるし、母親が収められるべく掘られた墓穴は突然水を張られ、即席のプールと化したりする。かくて穴はふさがれ、ヒロインは一時の安堵を得る。

やがて映画の終盤、ようやく世界との間にある種の均衡点を見いだすことのできたヒロインは、砂漠のフリーウェイを走る。その先には茫漠たる太平洋の拡がりが出現することになるだろう。その時大洋は、巨大な穴のようにも見えるが、そこでは、ヒロインがすでに穴を通り抜けて来たことこそが重要なのである。なにしろ、彼女らが海に到達する直前に通り抜けた小さなトンネルの反対側に、トンネルという穴をくぐることができず立ち往生している巨大なボート、という印象的なショットが提示されるのであるから。ヒロインたちはその脇を軽やかにすり抜けてゆく。当然、そこにはヘルツォーク『フィッツカラルド』における、ジャングルに乗り上げる船の記憶も遠くこだましていることだろう。

さて、監督の第一作を見たことはないが、もしペルーを舞台にした物語を撮り続けるつもりであるのなら、ムリに被収奪者の側に立つ必要はないということを忠告したい気持ちも生まれる(例えば本作における白人女主人のような人物の視点から語られうる物語の方が自然ではないのか)。それでも最終的には、ムリの上にムリを重ねることで出現する奇跡もあるのだから、思うがままに撮り続ければいいという気分に落ち着く。その程度には楽しめるし、期待も抱かせる映画ということなのである。

『悲しみのミルク』
ユーロスペースにて公開中。4/23からは川崎市アートセンターほかにて全国順次公開予定


『悲しみのミルク』オフィシャルサイト
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http://www.kanashimino-milk.jp/

公開情報

(C)Courtesy of Wanda Vision



初出

2011.04.15 09:30 | FILMS