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ジャン=リュック・ゴダール監督
『ゴダール・ソシアリスム』

文=

updated 12.22.2010

それは「自由」なのか?

文=川本ケン

ゴダールの新作が「ソシアリスム」銘打たれているからには、何らかのわかりやすいメッセージを獲得することができるのではないかと、淡い期待を抱かせもするのだが、もちろんそんなことはない。

初の全編HD撮影だというその作品の中で我々が目にすることになるのは、35ミリと見紛わんばかりの古典的な意味できわめて美しいショットから、ダビングを重ねたVHSやネットに散在するサイズの小さい動画を思わせるショットにいたるまで、現在日常的に目にすることのできるあらゆる画質の映像のつながりである。その意味では、映画の制作者も受け手も等しく「液状化」し、劇場用作品とYouTubeあるいは携帯で撮影されたムーヴィーなどなどがすべて等しく消費され得るとされる状況の中、西欧的な知の粋を体現しそうしたところらもっとも遠いところに位置しているはずのゴダールの最新作が、世界にあふれかえるかえる映像をほとんどすべてを内包していることが、まず興味深い。ひと言でいえば、ここまで現在時とシンクロした映画はほかにはない。

また音響についても、これまで以上に暴力的なトリートメントが施されている。細かなノイズやレヴェル・オーヴァーあるいは位相の混乱などがそのまま放置されていたりと、誰が聴いても明確にやりたい放題で、『ヌーヴェル・ヴァーグ』のサントラがイージー・リスニングに聞こえてくるほど。だが、考えてみると、映像編集における自由さを音響あてはめてみれば、このくらいのことは当たり前ともいえる。そもそも観客は通常、映像以上に音声について敏感であり、ほんのちょっとした違和も感じ取ってしまう。そのため、どれほどラディカルな映画でも、音声についてはかなりオーソドックスだったりするのだが。機材がデジタル化されることで、どれほどムチャをしても自動的に「標準値」の枠が守られてしまうような世界に我々が生きていることを考えると、この映画の音声トラックの奔放ぶりひとつをとってみても、そこに「自由」の問題が隠れているということになりはしないだろうか。なにしろ我々は、消費の罪悪感をエコロジーというまやかしで糊塗しなければ精神のバランスを保って生きてゆけないのであるから。「もったいない」の念仏を唱えた端から「断捨離」で浄化するという生活のどこに自由があるのか。

三楽章に分かれている物語については、もはや語る必要はないだろう。ストレートに響く言葉もあれば、そうでないものもある。もちろんそれは映像や音響についても同様。いうまでもないことだが、わかった/わからないは問題ではない。ただ観客としては、あらかじめ感覚の閾値を下げ、どんな不意打ちでも受け止められるように全身を開放しておくということが重要になるだろう。

『ゴダール・ソシアリスム』
日比谷TOHOシネマズ シャンテほか、全国順次公開中!
(C)フランス映画社


『ゴダール・ソシアリスム』オフィシャルサイト
http://www.bowjapan.com/socialisme/

初出

2010.12.22 08:00 | FILMS