ダニー・ボイルといえば、ありとあらゆる映像の断片をサウンドトラックと共に自在に編み上げることで物語を語る達人というイメージがあるだろう。時間軸を行き来しながら、視点を思うがままに飛躍させた、どれだけバラバラなショットでも、彼の手にかかればたちどころに物語を紡ぎ始め、エモーションを起動させる。
ところがこの『トランス』は、それとは違う印象を与える。そもそも単純に、いつもよりショット数が少ないのではないか。たしかにこの作品の場合、「なにを物語るのか」が、「どう物語るのか」と同義になっている。
つまり、従来のボイル作品が、揺るがぬ「なにを物語るのか」に向けて「どう物語るのか」を収斂させてゆくものだったとすれば、今作は、「どう物語るのか」がすなわちこの映画の物語そのものとなっているのだ。なにを見せ、なにを見せないのか。どういう順番でどう見せていくのか、ということがサスペンスを生成し、観客を牽引してゆく。
しかも、映画の主人公たちもまた、語られていく物語を観客とほとんど同じレベルで体験することになり、その様がこの映画の物語でもあるという二重構造が生まれている。だから、「どう物語るのか」で自由に跳び回ることができない。
いや、実のところ物語に複雑なことはさほどない。ただ、なにかが物語を複雑に見せていて、それがこの映画の物語の核にあるということなのだ。
ところがファースト・シークエンスの後で、彼自身が共犯者であることが明かされる。金庫に収めるまでの間に美術品を強奪犯のリーダーであるフランク(=ヴァンサン・カッセル)に渡すのが、犯行の段取りであった、と。にもかかわらず、どういうわけかサイモンはフランクに抵抗し、激怒したフランクによって頭部を強打される。
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初出
2013.10.10 08:30 | FILMS