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ハーモニー・コリン監督
『スプリング・ブレイカーズ』

彼岸の景色

文=

updated 06.14.2013

そういえば、少し忘れかけていたけどハーモニー・コリンの脚本は地味なまでに構造的なのだった。でもだからといって、この作品が古典的なフォルムを身にまとっているわけではない。

冒頭から、ほとんど全裸の若い男女がドラッグや酒を浴びるほど摂取しながらバカ騒ぎに弾けかえっている図が高速撮影で捉えられ、繰り返し繰り返し挿入される。それは、ヒロインたちの脳内「スプリング・ブレイク」でもあるし、彼女たちが実際にようやく辿り着いた「スプリング・ブレイク」の現実の映像でもあるというわけだ。いずれにせよ「スプリング・ブレイク」は桃源郷として、物語上の繋がりからほぼ遊離した場所に浮かんでいる。

そんな容器を作った上で、ビキニの女の子たちが銃を手にしていて、その傍らには暴力の危険なニオイを発する男がひとりいるというイメージと、気の利いた音楽さえあれば、一本の映画が成立するという目論見は正しい。でもだからといってこの作品は、破天荒で破れかぶれな映像の魅力だけで突っ走るわけではない。なにしろ、そこには地味なまでの構造があるのだから。

 

田舎町の大学で退屈しきっている女の子たちが、フロリダで「スプリング・ブレイク」を過ごしたいと願うが、金が無い。そこで近所のダイナーを襲撃し、南へと下る。そうやって夢の「スプリング・ブレイカー」としての時間を過ごしていると、ひょんなことからそこの地元で幅を効かせているラッパー兼プッシャーと出会い、行動を共にすることになる。それが、この映画で語られる物語だ。わかりにくいところはひとつもない。

そこが面白いところで、どちらの極にも一方的に振り切れることがないのにもかかわらず、バランスの良い中間地帯に留まるわけでもない。結局のところバカな女の子たちの自業自得、ということになりそうに見えて、そうはならない。獣に近い者同士として、犯罪者の男と宿命的に惹かれ合い、倫理を越えた絆に結ばれたりするのかと思えば、そうもならない。

 

ならば、終始すべてから皮肉な距離を保ち続けるのかといえば、真実は全く逆で、むしろそういうバカたちへの純粋な愛情だけは消えることがない。要するに、当初「バカだなあ」とせせら笑いながら眺めている「スプリング・ブレイカー」たちの映像も、繰り返し見せられているうちに「可愛らしい連中」という感じに変わってくるということで、おそらくそこに、この映画が全身を持って観客に働きかけてくる機能があるのだ。

それこそが、「バカだけど可愛くてイイ身体の女の子たちが半裸で大暴れ」という映画がちらりと見せる彼岸の景色なのだ。そしてそれは、何の根拠もなく「スプリング・ブレイク」という言葉と直結している。直結させたのはこの映画であり、この映画だけが持つことのできた力ということになる。ただそれだけの、愛らしい映画なのだ。

☆ ☆ ☆

『スプリング・ブレイカーズ』
6月15日(土)シネマライズ、TOHOシネマズ 六本木ヒルズ、新宿バルト9、ワーナー・マイカル・シネマズ板橋、川崎チネチッタ他、全国ロードショー
公式サイト http://www.springbreakers.jp/
(C)Spring Breakers, LLC  .
配給:トランスフォーマー

 

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初出

2013.06.14 10:30 | FILMS