040-pc-detail1

ライアン・マーフィー監督
『食べて、祈って、恋をして』

文=

updated 09.18.2010

「人生を正しく生きよ」という命令を巡って

文=川本ケン

「人生を正しく生きよ」という命令は、気づかないうちに我々の生を強く拘束している。だが、「正しく生きる」ためには「正しい欲望」に身を委せなければならないのに、「欲望」に身を委せ過ぎれば「正しく生きる」道を外れる。かくて我々はみな、一見バカげたとも贅沢とも思える「苦悩」に苛まれることになる。

たとえばこの映画のタイトル『EAT PRAY LOVE』も、動詞の原形を三つ並置したものに過ぎないように見えて、実は「正しい人生を生きる」ための命令形でもある。しかもこれら三つの命令はそれぞれ否定の命令を伴っており、「正しく生きる」ためには合計三組の互いに矛盾し合う命令に従わなければならないことを示しているのである。

ジュリア・ロバーツ演じるところの、容姿端麗で仕事にも恵まれ結婚もしているという、どう見ても苦悩とは無縁の女性が陥っているのは、そういう場所なのだ。欲望を成就すると共に拒絶しなければいけない世界では、もはや自らの「正しい欲望」の在処を誰も知らない。「正しい欲望の程度」も分からない。どこまでが目指されて「しかるべき程度」=「健常」であり、どこから先が「過剰」=「病」なのか。

本作のヒロインは、これまで成就してきた欲望の中でも最も大きな部分(と感じられる)=結婚相手が誤りであった、とある日再認識するに至る。それに基づいて夫を捨て、「正しい欲望」を求める旅に出る。

まずは、イタリアで食べまくるということをしてみるが一時の平穏を得られるばかりで、決して真の解放を見いだすことはできない。インドに乗り込んで、形から入ったヒンズーの祈りを実行してみても、内観の方向を迷うばかり。やがてバリ島へと渡り、ひょんなことから恋をはじめてみたところで、「正しさ」の力にはなかなか抗えない。

しかしながらこれらの過程を通してヒロインは、「欲望を成就する」のではなく、徐々に、「人生を正しく生きよ」という命令そのものを相対化してゆくことになる。

ひとまず、人生において「誤り」などひとつもないことを自らに言い聞かせ、「正しさ」には無数の形があり得るという認識に到達する。別れてきた男たちと過ごした時間はムダではなかったし、「正しい恋愛の形」もまたひとつではない、などなど。

カウンセリング的に極めてオーソドックスな図式であるし、ようするに、都市の表層生活によって自我の基盤を見失ったわがまま女が、憧れの土地を訪ね回る自分探しの旅に成功しました、という具合に要約されても大きな誤りではない物語ではあるのだが、それでもなぜかものすごくイヤな気分にさせられないのは、この映画が、我々の生を拘束する「命令」を扱うに際して、「文芸」にならないギリギリの圏内で自覚的な手つきを見せてくれるからなのではないだろうか。

『食べて、祈って、恋をして』
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
TOHOシネマズ有楽座ほか全国ロードショー

初出

2010.9.18 09:00 | FILMS