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ラリー・チャールズ監督
『ディクテーター 身元不明でニューヨーク』

毒を普遍化する

文=

updated 09.06.2012

強烈な風刺を効かせてまともなつもりのバカどもを笑いのめすのは大好きだけど、『ジャッカス』的な一般人を巻き込んでの悪のりと露悪はどうも押しつけがましくて純粋には楽しめない。「これに嫌悪感を感じるお前はイケてないぞ」、「笑えないお前はイケてないぞ」と迫られるのが鬱陶しい。そんなわけで、『ジャッカス』とは似て非なるものではあるが、『ボラット』はそれほど面白いと感じなかった。もちろん可笑しいし、ある程度以上は楽しめるのだが、押しつけがましさが魅力を打ち消しているように思われた。押しつけがましさというのは見る側の反応に過ぎないので、作り手側においては、真面目にふざけてしまう(本人も気づいていない)生真面目さと言い換えても良いかもしれない。

ところが『ブルーノ』では強烈に笑えた。風刺とフェイクドキュメンタリーとフィクションという三者の間で見事な均衡点が発見され、毒が毒として極めて効果的に機能していたのである。

今作ではその均衡点がさらに移動され、完全なる劇映画として撮り上げられることになった。相変わらずニュース映像風やドキュメンタリーのフッテージ風のものは挿入されているが、すべて物語を構成するためのパーツとして使われている。かくて、『ローマの休日』の転倒版、『チャップリンの独裁者』の脱臼版といった趣の、ウェルメイドなコメディ映画が出来上がった。

 

ウェルメイドとはいえ、『ブルーノ』で蒸溜された毒が希釈されているわけではない。しかも、毒がただの毒として放たれているわけでもない。毒をぬるめないまま、物語の進行とともに最低な独裁者であるところの主人公がなんとなく好ましく思われたり、全体としてハートウォーミングとさえ感じさせたりもするという神業が披露されているのだ。それにより風刺の持つ普遍性のレベルは格段に上昇し、「アラブ人=未開の蛮人」という図式から遥かに隔たった、すべての独裁者(のみならずその独裁者にたかる亡者たち)が本質的に持つ滑稽さを誰でも理解できるレベルで抽出して見せ、しかもそれが観客自身とも無関係ではないことを体験として理解させるという高みにまで到達することができたのである。

☆ ☆ ☆

『ディクテーター 身元不明でニューヨーク』

9月7日(金)TOHOシネマズ 六本木ヒルズほか
全国順次公開
© 2012 Paramount Pictures. All Rights Reserved.
http://www.dictator-movie.jp/

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本日のピックアップは「連載:MUSIC ON THE MOVE ①」です

初出

2012.09.06 09:30 | FILMS