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ロドリゴ・コルテス監督
『レッド・ライト』

0.01%の疑いがすべてを覆すとき

文=

updated 02.14.2013

人は見たいモノだけを見る。信じたいモノだけを信じる。という命題を基に作られた映画はいくつもある。すぐに思い浮かぶのは、俳優ビル・パクストンが出演・監督した『フレイルティー』だが、この作品では「このあり得ない話がもし本当だったらどうする?」という問いかけが映画をドライヴしていた。

「本当だったらどうする?」というのは、環境や時間帯によっては直ちに心霊モードを起動させかねないなかなかに強力な問いかけではある。その前に「信じないならいいけど」というのがついて、その後に「でも本当だったらどうする?」と来る。すべてを否定するという選択肢をあらかじめ提示することによって差し挟まれる、「本当かも」というほんの0.01%ほどの疑い。だが、疑いというものはどんなに小さくても、出現した途端にすべてをオセロのように転倒させる力を備えている。

この映画の主人公もまたそういう疑いに駆られて、超常現象の不在を証明するという極めて不毛な活動をしている。もちろん、不在の証明に血道をあげるということはすでにしてその現象自体に取り憑かれていることを意味しているわけで、100%の疑いが100%の信仰に支えられていることを告白しているも同然なのだ。

 

それではなぜ、彼はそんなに強烈な信念を獲得するにいたったのか。それに関するアイディアが、この映画における物語の核となっている。もちろん新しいものではないが、そのこと自体はいいだろう。いつでもアイディアが新しい必要はない。むしろ、娯楽映画の場合、誰も見たことがないような完全に斬新なアイディアでは機能しないことの方が多い。ジャンルの枠組み内で十二分に面白くなりうる題材であるし、実際、途中まではなかなか思わせぶりたっぷりに物語が進んでいく。稀代の超能力者であるロバート・デ・ニーロ演じるサイモン・シルバーは、ほんとうに能力を持っているのか? 主人公の師匠である(シガニー・ウィーヴァー演じる)マーガレット・マシスンの過去になにがあって、反・超常現象の妄執に取り憑かれたのか?

 

謎の超能力者の真偽と、その人物の善悪というふたつの異なった軸があたかも同じものであるかのようにして描かれていくことによって、観客は混乱の度を深めて行き、混乱すればするほど思わせぶり具合も盛り上がっていくという具合。それが故に、ある時点で「惜しい!」と声を上げたくなる。とはいえ、最低限あれこれ文句を付けて楽しみたくなる映画ではあることも記しておかねば不公平のそしりを免れないだろう。少なくとも、どこをどのように整理し直せば、『フレイルティー』クラスの作品に仕上がるのかを考えながら見るという楽しみは、確実に存在している!

☆ ☆ ☆

 
『レッド・ライト』
2013年2月15日(金) TOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国ロードショー
©2011 VERSUS PRODUCCIONES CINEMATOGRAFICAS S.L.
(NOSTROMO PICTURES) / VS ENTERTAINMENT LLC
オフィシャルサイト www.red-light.jp

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初出

2013.02.14 15:00 | FILMS