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園子温監督
『冷たい熱帯魚』

筋違いの期待はむしろ有害

文=

updated 02.04.2011

世の中には「気合い」だけで成立している映画というのがある。もちろん、「だけ」とは言っても、その度合いは並ではない。作り手の自意識を超えているという意味で、常軌を逸していると言っても良い。その凄まじさがすなわち必然性となり、娯楽性となり、映画を屹立せしめている。

それが、園子温による『愛のむきだし』という映画であり、そこにあるバランスは、「気合い」によって到達された奇跡以外のなにものでもない。であるが故に、そこに結実した才能は、以降のフィルモグラフィーのいずれかの時点において、それを上回る映画を撮り上げることで自らを証明し続けなければならない、ということにはならないのである。繰り返しになるが、『愛のむきだし』が作家主義的な超傑作であると繰り返しているわけではない。ただ、目指していなかったが故に到達される高みというものがあるのだ。

本作『冷たい熱帯魚』の尺は146分。題材は、多くの映画人の垂涎の的「愛犬家殺人事件」。これだけの情報から、ただちに『愛のむきだし』級の「気合い」を期待する観客も多いことだろう。そして「気合い」ということでは、それは間違いではない。だが、作り手の自意識までをも超えたところに到達しているかと言えば、そうではない。

だからといって、『冷たい熱帯魚』がつまらないというわけではない。なにはともあれ、「過度な期待」というより「筋違いの期待」を脇に置いてから見るべきであるということなのだ。

そうして見てみると、結構どぎつく笑えるし、ねっとりしたエロも満載だし、あれよあれよと言う間に殺人の片棒を担がされることになる主人公の去勢されっぷりには、ある程度共感すらできるかもしれない。

だがしかし、ディテイルの生々しさが生きているだけに、そのへなちょこ去勢野郎が、極悪非道の殺人オヤジによって文字通り父権的な暴力教育を施されることで覚醒するという構造に雪崩れ込んでいくわかりやすさが、「気合い」一発によってどうでも良くなるというか、むしろメロドラマ的な枠組みとして映画の暴走を支える、ということにはなってゆかない。

その意味では、非常にバランスの良いブラック・コメディという、それはそれで凡百の作り手が狙って容易く作り上げられるものではないものが完成されているということではあるし、生ぬるい日本映画に辟易している向きには最適の映画、ということになる。

それにしても、映画における構造と気合い。一方は狙わなければ獲得できず、他方は狙うことではある程度までしか獲得できない。しかもある程度では、その映画を別次元に持ち上げるには足りないという、難しいジレンマをはらんでいる。もちろん、前者を極めることで思いもよらぬ過剰に至ることもあるはずなのだが……。

『冷たい熱帯魚』【R-18】
テアトル新宿ほか全国順次ロードショー公開中


『冷たい熱帯魚』オフィシャルサイト
http://www.coldfish.jp/index.html
『冷たい熱帯魚』予告編
http://www.coldfish.jp/iphone/trailer.html

公開情報

(C)NIKKATSU



初出

2011.02.04 08:00 | FILMS