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大西功一監督
『スケッチ・オブ・ミヤーク』

我々の現実

文=

updated 09.26.2012

「ミヤーク」とは宮古島(沖縄県)を指す。現代の東京に住む我々からすれば時代が異なるのではと感じられるほど日常の中に根付いている民間祭祀と、そのための歌の数々。そこではどうやら、“根付いている”という表現すら生ぬるく、“非現実”の世界が、ひとつの紛れもない“日常の現実”の中に存在しているのである。我々ならばフィクションの中でしか出会うことのないものであるし、マジックリアリズムという懐かしい言葉をただちに思い浮かべさせられる世界である。しかも、宮古で奏でられている音色は、すでに人口に膾炙した沖縄民謡とはまったく異なった響きを持っている。

そうしたもののすべてが、もちろん、少しずつだが確実に褪色し、姿を消そうとしている。歌い手はひとりふたりとこの世をさり、それを受け継ぐ人びとの数はわずかである。この映画は、するすると音も立てずに失われてゆく薄く美しいものの上にそっと指を置き、我々に見せてくれる。その手つきは限りなく繊細だが迷いはない。指の置きどころをわずかでも間違えばすべてがバラバラになりそうなはかなさを持っているが、今そうしておかなければ、この瞬間にも永久に失われてしまうもの。映し出されているのは宮古の現実そのものだが、それは宮古だけの現実ではない。我々すべてが失いつつあるもの、あるいはすでに失ってしまったものすべてでもあるのだ。

だから、すべてのシーンで語られるすべての言葉とすべての景色、なによりも響いてくるすべての音が、我々の心をまっすぐに捉え、深く動揺させる。映画の終盤、思いがけず宮古の音が東京の空に響き渡るとき、いつのまにか落涙していることに気づくだろう。

 

ミュージシャンの久保田真琴が、2007年に宮古と出会い、衝撃を受ける。ただちに人びとへの聞き込みをはじめ、やがて70年代に録音された民謡の音源を次々と発見する。そうしたことがきっかけとなり、2009年に東京での公演が実現する。それを映像として大西監督が記録したことから、映画への動きが始まった。宮古島は、明治35年にいたるまでの300年近くの間、アメリカにおける黒人奴隷制度にも匹敵する「人頭税」という過酷な搾取に晒されていたのだという。それが宮古の歌の中に、独自の響きを織り込んでいったのではないかと。

そうしたこともまた、この作品が知らせてくれる現実のひとつではある。だが実のところ、ドキュメンタリーというジャンルのことすら忘れて良いだろう。この映画はただ我々の胸を衝き、洗いきよめ、小さな炎を点す。それは、極上のエンターテイメント作品でなければできないことなのだから。

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『スケッチ・オブ・ミヤーク』
東京都写真美術館ホールほか全国順次公開中!
(c) Koichi Onishi 2011
公式サイト http://sketchesofmyahk.com
公式facebook https://www.facebook.com/MYAHK77
公式twiiter @MYAHK77

初出

2012.09.26 09:00 | FILMS