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森達也/綿井健陽/松林要樹/安岡卓治 共同監督
『311』

幽霊たちの耐え難い徒労

文=

updated 03.05.2012

311とそれに続いた福島第一原発事故の後、抑鬱状態に陥りひたすらテレビに映し出される映像を眺め続けていたと言う森達也をはじめとする合計四人の男たちが、ただ「現認(現状認識)」のためだけに東京を発ち、東北へと向かう。そして、状況がどこまで改善しているのかハッキリとはわからないまま喉元を過ぎてしまった現時点から見ると、滑稽にすら感じられる放射線への恐怖におののきながら、闇雲に原発20キロ圏ギリギリの地帯を記録して回る。

そんな彼ら自身の姿や、旅館に宿泊しているほかの取材者たちの様子など、たしかにテレビやネットではあまり見られなかった映像に、我々は接することになるだろう。しかし例えばあの日、地震の直後にNHKの生中継カメラが捉えた、今まさに波に呑み込まれつつある町と人びとの映像に匹敵するスペクタクルが見られるわけではない。四人の男たちが突然感情を剥き出しにして分裂し、バラバラの地点からバラバラの記録がはじまるということもない。

要するに、「被災地」でこれまでに収集された圧倒的な量の映像とその記憶を塗り替えてくれるような出来事には遭遇しないのである。ただ、放射線を帯びた雨が降り、瓦礫が拡がり、遺体捜索を続ける人びとの姿だけがある。

カメラを持った四人組は、もしかすると彼らの方こそが幽霊なのではないかとすら感じさせられる所在なさで、その中を浮遊する。彼らの方こそがすでに死んでいて、それを知らずに「現認、現認」と呟きながら彷徨っているのではないか。すなわち、その視線に同化している我々もまた幽霊なのではないか。はじめはおっさんたちの右往左往にクスクス笑いすら漏らしていたはずなのに、いつのまにか比喩を越えた生々しさで、そう感じられ始める。それはほんとうに、胸の悪くなる事態ではないか。

見たことのない風景はなく、隠された真実の断片は露呈せず、一向に物語は立ち上がらず、評論的なとっかかりがそこかしこに埋めこまれているわけでもない。だがそれ故にこそ、これが現実の姿なのだろう、という感覚だけがはじめはうっすらと、だが目のそらしようがないほどハッキリと、堆積してゆく。

浮遊する幽霊としての耐え難い徒労感。それだけが、我々が今生きているこの現実なのではないか。このドキュメンタリーを見ることの居心地悪さは、そこにある。そしてその居心地悪さの中から、この列島は、金輪際抜け出せないのだ。

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『311』
ユーロスペース、オーディトリウム渋谷にて公開中、ほか全国順次公開
(C)森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治

□ オフィシャルサイト
http://docs311.jp/

初出

2012.03.05 10:00 | FILMS