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井口昇監督
『富江 アンリミテッド』

システムの普遍性

文=

updated 05.13.2011

伊藤潤二によって発明された「富江」というシステムは、美しいモノ=富江は美しいが故に周囲に破壊の混沌を拡げながら暴力を自らに回帰させ、結果として損壊され細切れになった身体はそれぞれが無数の富江として再生し、再び暴力を蔓延させてゆくという、どんな力もその増殖を止めることができないという意味で究極の恐怖生成装置と呼べるが、それ以上に、美しいモノを巡る力学として何の説明もなく我々の腑に落ちてしまうという高度な普遍性を持つ。それこそが富江のもつ恐ろしさの所以なのである。絶対的に美しいモノの前ではすべからく、ひれ伏すか、嫉妬に駆られるか、一体化したいと願うか、いずれにせよそのモノと自らの破壊に至らざるを得ない。それはただひたすらそうなのであって、自然現象同様、そこには何の意味もない。心理も精神分析も関係ない。という富江システムを自家薬籠中のものにしたのが、監督井口昇による本作である。

美しい姉・富江と今ひとつ地味な妹。姉は事故死し、一年後に帰還する。ゾンビでも幽霊でもない。ただ、還ってくる。そして周囲の人間たちはすべて、露呈する己の真の欲望によって自壊してゆく。妹だけがそれを隠蔽し続けるが、そうしようとすればするほど富江は増殖し、地獄絵が拡大してゆく。

それはもちろん、井口昇の欲望の具現化に他ならない。「富江」という存在に遭遇してしまった井口昇の中から溢れ出た真の欲望(のほんの一部)が、この映画ということになる。だから、これはホラー映画ではなく、真摯であるが故に美しいファンタジー映画ということになるだろう。リアリティのレベルは問題ではなく、そもそも携帯もデジカメも登場しないという、ぽっかりと宙に浮いたこの映画の時空は、そのまま我々の記憶に移植されるようですらある。いや、むしろ我々の記憶からぽろりとこぼれ出たもののようにも感じられる。妹=荒井萌は予想以上の魅力に溢れているし、活き活きと跳梁跋扈する奇怪なクリーチャーたちの姿も愉しい。

もはや消費され尽くしたかのように見えていた富江システムの普遍性が、この映画によって改めて証明されることになった。

『富江 アンリミテッド』
配給:ティ・ジョイ、CJ Entertainment JAPAN
公開表記:5月14日(土)より、新宿バルト9ほか全国ロードショー!

□予告編/YouTube

□『富江 アンリミテッド』オフィシャルサイト
http://www.tomie-unlimited.com/

公開情報

(C) Junji Ito (C) 2011 東映ビデオ



初出

2011.05.13 12:30 | FILMS