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荒牧伸志監督
『スターシップ・トゥルーパーズ インベイジョン』

“標準装備化”されたシリーズ

文=

updated 07.20.2012

ポール・ヴァーホヴェンによる一作目からすでに15周年だというので、まずは基本的な情報をいくつか。

原作であるロバート・A・ハインラインによる『宇宙の戦士』は1959年に刊行されたもので、そこに登場するパワードスーツこそが、『機動戦士ガンダム』におけるモビルスーツというコンセプトの着想源であることは周知のとおり。そして、独自の国家観に支えられた強烈な愛国主義と軍事趣味で染め上げられたこの小説の中から、“世界の警察”たる90年代のアメリカ合衆国と二重写しになる要素を抽出・増幅し、SFアクション映画の上にというよりもジャンルそのものを風刺のレイヤーと一体化させ、映画全体を強烈な皮肉として作り上げたのが、ヴァーホーヴェンによる『スターシップ・トゥルーパーズ』であった。そして、そこにはパワードスーツが登場しなかった。

だがそもそも、ヴァーホーヴェン自身の持つ身体損壊嗜好こそが、この映画の持つ必然性の核にある。つまり、兵士の身体は巨大な昆虫たちによってバラバラにされなければならず、そのために彼らは柔肌を剥き出しにして戦う必要があったのだ。パワードスーツが登場しないのは予算の都合と説明されるが、そういう事情がなかったとしても、ヴァーホーヴェンは兵士たちがグチャグチャになりやすい方を望んだに違いない。まあいずれにせよ、メタレベルでの容赦ない批評性と、理屈を超越したベタな衝動という、遠心力と求心力の誰にも真似の出来ない強度にこそ、この映画の真髄がある。ひとことで言えば、そこから予算と批評性を抜き去り、ボンクラ趣味を全開にしたのが続く二作と言えるだろう。細かく見れば、批評性を抜き、『コンバット』的にミニマルな戦争ドラマに収斂させたのが二作目、その方向から完全にボンクラ趣味に振り切れたのが三作目ということになる。

さて、三作目にいたってようやくマローダーと呼ばれるパワードスーツが登場するのだが、それはある種のバリエーション形ではあった。それも含めて過去のデザインをいったんすべて保留し、“あり得べき真のパワードスーツ”を追求したのが、今作『スターシップ・トゥルーパーズ インベイジョン』ということになる。かつて原作小説の装画を手がけ、サンライズによるアニメ版『宇宙の戦士』にも参加したスタジオぬえによるデザインもまた、シリーズの世界観を鑑み、ここでは退けられたという。

前置きが長くなったが、果たして今回の作品はどういうものに仕上がったのか。監督は、『APPLESEED』や『EX MACHINA』において存分にモーションキャプチャーという手法を鍛錬してきた荒牧伸志。フルCG作品とはいえ、まずは第四作目と呼んで良いだろう(いわずもがなだが、99年から制作されたCGアニメのTVシリーズ『スターシップ・トゥルーパーズ・クロニクルズ』につきまとった“違和感”はない)。そこにはもちろん、ヴァーホーヴェン的批評性は存在しないが、パワードスーツのあり方から出発するする以上、それも当然のことと言えるだろう。つまりこの作品には、“標準装備化”された『スターシップ・トゥルーパーズ』とでもいった味わいがあり、ようするに普通のエンターテイメント映画として、安心して楽しめるものとなっているのである。

巨大な宇宙戦艦同士の戦闘もあるし、もちろんパワードスーツとバグの肉弾戦もある。兵士たちの小さなドラマもあれば、映画全体を前進させる謎も存在する。昇進してしまった一作目の主人公ジョニー・リコをはじめとするお馴染みのキャラクターたちはお決まりのやりとりをするし、ヴァーホーヴェン流の原理主義的フェミニズム描写のひとつである男女共用のシャワールームなんてのが再登場するところもうれしい。

この作品によってようやく、『スターシップ・トゥルーパーズ』はシリーズものとしての、スタンダードなプラットフォームを確立することができたのではないかという印象すら抱いた。このレベルと手法を維持すれば、いろんな作り手たちが自分たちならではの『スターシップ・トゥルーパーズ』を作っていくことができるのではないだろうか、と。それもまたわくわくさせられることである。

☆ ☆ ☆

『スターシップ・トゥルーパーズ インベイジョン』
7月21日(土)新宿ピカデリーほか全国ロードショー
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

(C)2012 Sony Pictures Worldwide Acquisitions Inc. All rights reserved.

□ オフィシャルサイト
www.ssti.jp

初出

2012.07.20 10:00 | FILMS