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ミヒャエル・ハネケ監督
『白いリボン』

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updated 12.15.2010

変わるものなし

文=川本ケン

この世は無意味に出現する不条理に充ちている。今日と同じ明日がやって来ること自体が奇跡なのだし、やって来なかったとしてもそこにはいかなる因果もない。例えば『ファニーゲーム』(97)が見せるのはそういう世界のあり方だった。それが、隅々まで神経の行き渡ったきわめてミニマルな表現として映像化されている。だが、それがどうしたの?  というのが素直な感想であった。したり顔で新しくもない認識だけを見せられても、映画として面白いかといえば面白くない。作り手の知性が観客をはるかに凌駕してしまっているというわけでもなく、ただ単に芸が足りないのではないか。あるいは、そもそも芸を見せるつもりがないのなら映画でなくてもいいんじゃない? (まったく同じショットを積み重ねることで精密にリメイクされた『ファニーゲームU.S.A.』(07)の方では、主人公たちの肉体がティム・ロスとナオミ・ワッツといったスターたちによって演じられることの娯楽性がメッセージ=作り手の自意識を上回り、それなりに面白い映画となっていた。)

そういうわけで『ピアニスト』(01)は見ず、初期作品にも触れないまま、『隠された記憶』(05)を見た。なるほど、基本的な世界認識に変化はないが、多少は芸を見せられた気がした。それでもまだ、「本当はなにが起こっていたのか?」という「謎」に、明確な説明を与えないという方法論には刺激を感じなかった。とにかくわかりやすすぎる。作り手側ではすっぱりと割り切れているものを、ぼんやりというかタイトルの通り部分的に隠して提示しているにすぎないではないか。

では本作はどうなのか。ひと言でいえば、ようやく作り手自身もまた、割り切れない闇の中に足を踏み入れていた。たしかに、モノクロの澄み切った映像によってすべてがハッキリと映し出されながら、起こる出来事の裏面は解き明かされない、という語り口そのものには変化がないし、この映画の物語の中で起こっていたであろう事態=謎を想像するのは、相変わらず容易い。だがここではすでに、「真実が隠されていること」そのものが問題なのではない。

この作品では、第一次世界大戦直前のドイツの片田舎とされる時空が構成されている。だが、スクリーンに映し出される景色は不気味なまでに見慣れたものという感覚を我々に与えないだろうか。見慣れているということに、なかなか気づかないくらいに見慣れている。不気味な出来事が隠されているから不気味なのではなく、見慣れていると感じること自体が不気味なのである。だからこそ、発生している出来事の「真実」を想像するのも易しい。馴染みの出来事なのだ。

この世界は、どの時空を切り取っても同じで、何一つ変化を遂げている部分はない、という恐るべき認識。もちろん、それはあらかじめ見いだされ、メッセージとしてべったりと映画の前面に塗りたくられているのではない。観客ひとりひとりが、そしておそらくは作り手も全く同様に、この映画を体験することで否応なく到達されられる認識にすぎないのだ。それは、絶望というものに限りなく近い。

『白いリボン』
公開中!
配給:ツイン/提供:デイライト、ツイン


オフィシャルサイト
http://www.shiroi-ribon.com/

初出

2010.12.15 08:00 | FILMS