Gangster Squad

ルーベン・フライシャー監督
『L.A.ギャングストーリー』

そういうことでいいのだ

文=

updated 05.13.2013

太陽とスターと暗黒街。栄華を極めるミッキー・コーエンとその帝国。腐敗しきった市警。つまりはジェイムズ・エルロイ原作(あるいはカーティス・ハンソン監督作)『L.A.コンフィデンシャル』直前(1949年)のLAを舞台に、お馴染みの景色が映し出される。

コーエンによって隅々まで買収されたな警察の中にあって、主人公(ジョシュ・ブローリン)だけが“道理”をわきまえずに大暴れする。本部長に呼びつけられ、どやしつけられるのかと思いきや、非正規の部隊を編成し、法を超越した方法でギャングどもをぶちのめすようにという指令を下される。原題の「Gangster Squad」(=ギャング部隊)とは、対ギャング部隊でもあり、その部隊そのものがギャングのような部隊でもあるという二重の意味を持つ。

だが、エルロイ作品をはじめとする50年代LAで展開されるノワールに慣れ親しんできた者にとっては、「史実に基づく」と言われたところで、物語の中に特に真新しい要素があるわけではない。

 

それでも全体として好感が持て、しかもある程度楽しめる仕上がりになっているのは、オリジナルであることをとうの昔にあきらめながらも、古臭いポストモダンな手すさびに陥ることだけはギリギリのところで回避しようという粘り腰が故なのだろう。もっとさらりとスタイリッシュに流してしまっても良さそうなところに、引っかかってゆく。それは不器用のひとことで片付けられないもので、むしろ愛と呼んでおいた方が良いような気にもさせられる種類のものなのだ。

そういえば、この監督の第一作目『ゾンビランド』にしても、基本的にはスタイリッシュなメタゾンビものであるにも関わらず、例えばビル・マーレイ自身がビル・マーレイとして登場する、物語上は最もどうでもよく、スタイリシズムの観点からしてもさらりと流さなければならないはずのところに愛を充溢させて見せたりしていた。第二作目の『ピザボーイ 史上最凶の注文』に至っては、完全なるドタバタ喜劇のはずが、映画全体をヘンに陰惨な重苦しさで支配してはいなかったか。

そしてむしろ、「暗黒時代の歴史」を描いているはずの本作の方がウソのような軽さを身にまとっていて、この映画の場合はそこが愛なのかと奇妙な納得のしかたをさせられることになる。

 

例えば、マシンガンで撃たれたらババババッと舞うように死ぬ、とか、仇敵同士は最終的には肉弾戦をする、とかいうお約束が、お約束を守ってみせるポーズではなく欲望に従って実行されている様子である一方、クール過ぎるライアン・ゴスリングや凶暴すぎるショーン・ペンなんかが存分に楽しみながら仕事をしている感じは伝わってくるものの、そこだけが突出しいるわけでもない。悪趣味なまでの暴力描写にしても、それ自身が目的とはなっていない。

インフレし続けるジャンルの欲望に合わせてひとつひとつ振り切らせていったディテイルを、愛の力ひとつで包み上げて見せたとでも言えば良いのだろうか。同時に、愛はあるけれど肩の力も抜けているとも言える、なかなか真似の出来ないバランスに到達した。結果、決して特別ではないが、全くもって悪くない。そういう映画になった。だから、我々も弛緩して楽しむことができる。そういうことでいいのだ。

☆ ☆ ☆


『L.A.ギャングストーリー』
丸の内ルーブル他 全国ロードショー公開中
配給:ワーナー・ブラザース映画
(C) 2013 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED
公式サイト http://wwws.warnerbros.co.jp/gangstersquad/

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初出

2013.05.13 09:00 | FILMS