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ローラン・ブーズロー監督
『ロマン・ポランスキー 初めての告白』

弁明と語り口

文=

updated 05.29.2013

以前ホラー作家のジャック・ケッチャムと会ったとき、60年代はありとあらゆるドラッグ(アヘンだけは身体にあわなかったのだそうだ)でラリっていた素晴らしい時代だったが、それも69年にシャロン・テイトらが惨殺されるまでのことで、その瞬間から、楽しくトリップする場所だったはずの森が、突如怖ろしい場所へと変質してしまったと話していた。なによりも、自分たちとそっくりなマンソンたちが、あんなことをしたという事実に震え上がったと。

周知のとおり、そのシャロン・テイトの夫が、ロマン・ポランスキーだった。ポランスキーは事件後もアメリカ(やヨーロッパ)で映画を作り続け、77年に未成年者との性行為で逮捕される。だが保護観察期間中であった翌年、フランスへと逃亡し、以降合衆国の地を踏むことなく活動を続けていることもよく知られている。そして09年、突如スイスで逮捕される。二ヶ月間拘置された後自宅に軟禁され、翌年、スイス当局がアメリカからの身柄引き渡し要請を拒んだことでその状態を解かれた。

つまり、これまでポランスキーには、「ユダヤ人として迫害された幼年期」、「妊娠中の妻を惨殺された男」、「未成年の少女を犯した男」、「国外逃亡したまま映画を撮り続けている男」という四つの要素と、『ローズマリーの赤ちゃん』(68)、『チャイナタウン』(74)、『フランティック』(88)、あるいは近年の『ゴーストライター』(10)といった作品の持つ仄暗く陰謀に充ちた世界観が融け合い、自身もどこか気味の悪い人間という印象が強く、だからこそ『戦場のピアニスト』(02)の立派さがなんとなく胡散臭いという感覚がつきまとっていた。

 

つまるところ、このドキュメンタリーは、そのイメージに対するポランスキー側からの弁明なのだ。ポーランドのユダヤ人一家に生まれ(実際の生地はパリ)、ドイツ占領時代には両親が強制収容所へ送られ、母親をそこで失うという経験をしたこと、単身ゲットーを脱走し、複数の家庭に匿われながら生き延びたこと。そうした経験の多くが、特に『戦場のピアニスト』(02)にほぼそのままの形で反映されていること。そして、映画界へ入ったきっかけや、イギリスなどを経由してハリウッドに降り立った経緯や、もちろんシャロン・テイト事件についても語られる。

たしかに、テイト事件についてはマンソン側に憑依した作品や、その社会的・文化的インパクトについての話を耳にすることはあっても、ポランスキー視点での物語はほとんど聞いたことがなかったのではないだろうか。

 

そういう意味で、このドキュメンタリーは所期の目的を見事に果たしていると言えるだろう。戦中の話はもちろんのこと、テイト惨殺時にロンドンで脚本作業を進めていたポランスキーの元へ知らせの電話がかかってきた瞬間の様子や、その後被害者の夫であるのになぜかメディアの攻撃を受け苦しめられたこと、さらには78年のアメリカ脱出に至る経緯を聞けば、ポランスキーに好感まで行かずとも、同情的な視点を植え付けられざるを得ないだろう。しかも、ポランスキー自身が自らの過去を語るその語り口は、ポランスキー映画そのものの相似形であり、とても巧みで飽きさせない。

冒頭に引いたケッチャムの記憶同様、このドキュメンタリーの中でも、60年代にはハリウッドがいかに牧歌的にのびやかで、多幸感に充ちた場所だったのかが語られる。だれも玄関の扉に鍵をかけるものはいなかった、と。それが、マンソン事件によって終止符を打たれる。しかも、当初犯人は知り合いの狭いサークルの中にいるのではないかと噂され、誰もが「あいつが犯人では」と疑心暗鬼になり、緊張と不審のため葬儀は異様な雰囲気だったという証言には、ざらりとしたリアリティを感じられる。それがまた、ポランスキー作品の持つ手触りとも通底しているわけで。

これほどに激しい浮き沈み(自身もそう語るが)のある私生活を送ってきた人物へのインタヴュー映画が、面白くないわけがないのだからズルイとも言えるが、それでもやはり面白いのだから仕方ない。

☆ ☆ ☆


『ロマン・ポランスキー 初めての告白』
6月1日より、渋谷シアター・イメージフォーラムにてロードショー!

■ 同時上映:『ローズマリーの赤ちゃん』ニュープリント版
『水の中のナイフ』、『反撥』、『袋小路』デジタルリマスター版

公式サイト http://mermaidfilms.co.jp/rp
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初出

2013.05.29 15:00 | FILMS