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アントン・コービン『誰よりも狙われた男』

ならばわれわれはどうする?

文=

updated 10.16.2014

パリで乗ったタクシーの若い運転手が、エピソードを豊富に持った面白いヤツだったので、半年後に訪れた時にも電話をかけて呼び寄せてみた。するとその時は別人のように疲れた様子で口も重く、水揚げがキビシイのは今に始まったことではないが、警官のイヤがらせがヒドイとこぼし始めた。面白がる聞き手へのサーヴィス心から誇張されていたとしても、たしかに理不尽な話ではあった。それでも空港で、30分ほどどんよりお茶を飲んでから別れた。

モロッコ系三世代目の彼はまだ20代なかばで、言語的にも戸籍上でもフランス人以外の何者でもない。「自分をフランス人だと思ったことは一度もない」だとか、「いざとなったら国(モロッコ)に帰ればいいんだ」とかいう話は耳新しくなかったが、「オレはイスラム教徒だ。日々のお祈りはしないけど、ラマダンは守る」と言うので「なんで?」と問い返すと、「イスラムの教えは正しいから」と答え、その具体例についてあれやこれやと話し始めた。日本の芸人がパロディ半分本気半分で神社などについて保守派的な言説を稚拙になぞってみせる姿を連想させる程度のものだったので、聞き流してしまった。

そこからさらに半年が過ぎた頃、シリアでは「イスラム国」がさかんに欧米人の首をはねていた。ある夕方、新宿駅中央東口の細い階段を下りてゆくと、狭くて薄暗い踊り場で長身の中東系と思しき顔つきの男が祈りを上げていた。雨の激しく降った後のことで、どこもかしこも濡れている床に膝をついている姿が薄気味悪いと、反射的に感じた。

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そういえば、「イスラム国」には北アフリカ系フランス人も多数合流しているようだし、あのタクシー運転手がその道を辿る程度の知性の持ち主だとは思えないが、万が一そんなことになったら彼の携帯にはこちらの番号が残っているから、フランスへの入国がややこしくなったりするんだろうなあと妄想してみた。路上で祈りを上げるイスラム教徒をはじめて見たのが、海外ではなく新宿駅構内だったというのは、小さな衝撃だったのだとその時に気づいた。

そんなことは911以前も以降も、おそらく今年までは感じたことがなかったのではないか。イスラム教徒へのうっすらとした嫌悪ないし恐怖が、なぜ今になって起動したのか。その理由についてはいろいろと考えられるわけだが、今はおいておこう。ただ、この映画に登場する複数の諜報組織も同じ空気の中で活動しているということだけはわかる。『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』(をはじめとするスマイリー三部作)はもちろん圧倒的な小説だし、その映画化作品『裏切りのサーカス』(トーマス・アルフレッドソン監督/11)もまたル・カレ世界のエッセンスを鮮やかに凝縮・抽出して見せていたが、同時代の政治状況を共有しているという緊迫感についていえば、われわれにとって本作を越えるものではなかっただろう。

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「イスラム教徒=“テロリスト”」と考えるのはバカげている。だが、ある莫大な資金を持った人間が、“イスラム過激派”にたいしてシンパシーを感じるに足る動機を持っていると推測される場合、単純にリベラルな信念あるいは潔癖症から、その男を“野放し”にしておいても良いと断言できるのだろうか。東京に暮らしているからといって、中東状況が人ごとであると高を括ってはいられない今、それは身につまされる設問だろう。アメリカを代表とする強権に荷担するのはイヤだが、“テロ”に脅えたり命を奪われるのはもっとイヤだというのが人情だとして、そんな事情に巻き込まれたとき、われわれ“一般人”はどうすればいいのか? この映画においては、移民たちの人権擁護活動を続けている弁護士のアナベル(レイチェル・マクアダムス)が、その立場に近いところに置かれる。また、“一般人”よりも広い視界を手に入れているであろうプロの諜報員が取るべき“倫理的な選択肢”には、どのような行動があるのだろうか。

主人公ギュンター(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、ドイツの諜報部員であり、ハンブルクにおいて“テロ対策チーム”を率いているが、そこにひとりのチェチェン出身の若者イッサ(グレゴリー・ドブリギン)が姿を現す。どうやらロシア人マフィアであった父親の残した莫大な遺産を手に入れようとしているようなのだが、その真の目的はハッキリしない。

一方でギュンターは、“穏健なイスラム教徒”として“西欧人を安心させる”講演活動を続けている学者、アブドゥラ博士(ホマユン・エルシャディ)にかねてから目をつけていた。“人道的活動”への資金提供と見せかけて、その一部を“テロ組織”に流入させている疑いがあったのだ。

ギュンターの考えはこうだ。若者に遺産を受け取らせ、それをアブドゥラに寄附させる。そして、アブドゥラがそれを“テロ組織”へと流し込んだ瞬間をおさえ、スパイとして味方に引き入れる。アブドゥラのような存在をいたずらに排除してしまえば、その位置はまた別の人物に引き継がれるに過ぎないのだから、それが考えられる最善の策なのだと。だが対立する諜報部門やCIAはそう考えていない。幾重にも重なり合い干渉し合う陰謀をかいくぐり、ギュンターの孤独な戦いは続く。

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当初、観客であるわれわれには、ギュンターの真意が上述のような目的を目指していることがわからない。つまり、すべてのイスラム教徒を敵と見なす狂信的なスパイなのか、なにか特別な、例えばCIAとは一線を画す企図を持っているのかどうか。それはもちろん、なによりもまずホフマンという俳優の身体が、圧倒的に自律した不透明さを獲得し得ているからにほかならず、物語が進むにつれ、その中から徐々に過去の苦い敗北の経験と罪の意識が仄見えてくることになる。それが彼をして、偏執狂的なまでの執拗さをもって、自らの意志を貫き通すための行動へと衝き動かしているのだと承知される。だが、清濁あらゆる手段を講じ邁進し続けるその姿にははじめからどこか、必敗の匂いがつきまとっている。それはもう、ホフマンの全身から漂い出ているのだ。だからわれわれは、いつのまにか手に汗を握って彼の姿を見守ることになる。

なにがどのように関係し、どこがどこに繋がっていくのかわからないまま物語の幕が開き、あれかこれかと考えているうちに突如、ありとあらゆるものがわれわれの脳内で結像し始めるというル・カレ作品特有の快楽を、この映画もまた見事に達成して見せている。その外側にホフマンの死という物語が加わらなかったとしても、十二分にわれわれを撃つ衝迫力を持つ作品となった。

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公開情報

© A Most Wanted Man Limited / Amusement Park Film GmbH © Kerry Brown
2014年10月17日(金)TOHOシネマズ シャンテ他全国公開
配給: プレシディオ
公式HP: www.nerawareta-otoko.jp