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ブランドン・クローネンバーグ監督
『アンチヴァイラル』

見えるものと見えないもの

文=

updated 05.24.2013

この世界では“セレブ熱”が深化し、“セレブ”の言動を逐一追い、その真似をしたりそれについて語ったりするだけではなく、“セレブ”の罹患した病原体に金を払って感染したり、“セレブ”の細胞を植え付けた食肉を摂取するといった行為によってさらに“セレブ”との距離を埋めるということが日常的に行われるようになっていて、それ自体がひとつの産業を築いている。

主人公はその中のひとつ、「ルーカス・クリニック」で営業マン兼技術者として働いている。美容整形外科のクリニックに似た白く清潔なその場所では、例えば“セレブ”のひとり、ハンナ・ガイストの唇のヘルペス菌が、顧客の唇に注射されたりしているのだが、彼はまた、厳重なセキュリティ・システムをかいくぐって、“ウィルス”をクリニック外に持ち出し、それを闇市場に横流してもいる。その方法というのが、自らの身体を苗床とすることで“ウィルス”を自宅まで持ち帰り、そこに隠匿してあるこれまた横領した装置を用いて“ウィルス”に仕込まれた“コピーガード”を外すというものであるため、いつでも体調が悪い。

ある夜、病の床に伏せっているハンナ・ガイストの“ウィルス”をいつものように体内に注入し、持ち出すことに成功するのだが、その“ウィルス”によってハンナは死亡する。そのために彼は、“海賊版ウィルス”を取引する闇社会をはじめとする勢力によって追われる身となる……。

 

あらすじを書いてみれば、まあこんなところになるが、この映画が成功しているとすれば、それはあらすじのためではない。このお話が、“セレブ”を取り巻く現在の状況を風刺し得ているのかどうかということも、ほぼ関係ない。だが、“セレブ”と“感染”というキーワードには少しそそられるところがある。

では、画作りはどうか。ミニマルで清潔なスタイルを選択することでアート映画の雰囲気を作り上げてはいるが、予算に限りがあったということはハッキリと見て取れる。にもかかわらず、欲望に到達し切れていない貧しさを感じさせるわけではないし、ヤスさで萎えるということもない。とにかく最後まで、「少し、そそられる」という状態が続くのだ。

もっとも成功しているのは、“レディフェイス”と呼ばれる装置によってヴィジュアル化される“症状”の表現だろう。とてつもなくイヤなものを見せられるわけではないのだが、ついつい視線を奪われ、意味を探してしまう。

意味を探してしまうといえば、要するにこの作品は、スクリーンに映っているものによって、観客の洞察力を起動させることに極めて巧みなのである。見えているものの背後にある、見えないものの存在を感じさせるのに長けている。思わせぶりなところはほとんどなく、見せるべきものを見せるというシンプルで明確な描写が積み重ねられるのにも関わらず、核にある謎は残り続け、しかもその謎は物語の謎と完全に合致しているわけでもない。

 

ちょうど“レディフェイス”に現れる歪んだ顔を見つめる時の感覚に似て、その謎を覗き込むことが、自分自身の内側に視線を向けることと同義であるような感覚を呼び起こす。そして内側に視線を向けたところでそこにはなにもなく、微かだがハッキリとした居心地の悪さの中で、それでも謎に惹き寄せられたまま、次のシーンを待つことになる。

たしかに、監督がデイヴィッド・クローネンバーグの息子であることを知らずに見ていたとしても、驚くほどにクローネンバーグ的な娯楽を提供する映画であることは認めざるを得ないだろう。当然のことながら、だからどうということもない。ただ、こういうそそり方をする映画を作る監督がもうひとりデビューした、ということに過ぎない。それは歓迎すべき事態ではないか。

☆ ☆ ☆


『アンチヴァイラル』
5月25日より、シネマライズほか全国公開
© 2012 Rhombus Media(Antiviral)Inc.
配給:カルチュア・パブリッシャーズ、東京テアトル
公式サイト http://antiviral.jp/

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初出

2013.05.24 09:00 | FILMS