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ジェフ・ワドロウ監督
『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』

狭間の物語

文=

updated 02.19.2014

周知のとおり、一作目の原作が映画版と決定的に異なっているのはビッグ・ダディのキャラクターで、彼は元警官でもなんでもなく、ただ単に度を超したコミック・ファンであり、その世界観を現実化するために仕込まれたのがヒット・ガールだったという点である。つまりウソから出たマコトというやつだ。ところが映画版では、ビッグ・ダディの語っていたウソが真実ということになった。もちろん、それ自体が間違いだったわけではない。レイヤーをひとつ取り外すことで物語をシンプルにし、観客の注意をコンパクトに凝集させエモーションを誘導するには良いアイディアだったといえるだろう。おかげで、映画はわかりやすく成功を収めることができた。

さて、そこを出発点としている以上この第二作目が結局のところ父と子の物語にならざるを得なかったことも必然といえるだろう。なぜなら、ビッグ・ダディはほんとうに「正義」を追求する男だったのだから。ヒット・ガールは、前作で死んだ父親の遺志と、父親の代わりを務め彼女を普通の少女に戻そうと努力をする父の元相棒である刑事、すなわち養父の想いとの間で葛藤し、キック・アスはつまらない人生を送っているようにしか見えない父親と、ヒーローとしての刺激に充ちた時間との間で葛藤する。

 

たしかに、前作で観客が楽しんだ部分だけをつないでゆき、ヒット・ガール=クロエ・グレース・モレッツのかわいさをとことんまで追求し、暴力の気持ちよさと陰惨さを存分に展開している。だから、楽しくないわけではない。だが、もしビッグ・ダディが単なるアタマのおかしいコミック・マニアだったとしたら、上述の生真面目な作劇上の葛藤の底を抜けさせ、物語全体に不穏な無根拠さを導入することができただろうし、そうなったらもっと可笑しく面白くなっただろうなあと、どうしても考えてしまうのだ。

前作と完結編としての次作との狭間、父と己との狭間、正義と悪との狭間、普通の高校生とヒーローとの狭間、大人と子どもとの狭間、などなど。結果的にこの映画が残す印象は、そういう狭間の停滞感ではなかったか。つまりは、三作目を早く見たいことには変わりない。今度は、完全に振り切れてもらいたいものだ。

☆ ☆ ☆

『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』
2月22日(土)より、TOHOシネマズ有楽座ほか全国公開
オフィシャルサイト http://kick-ass-movie.jp
(c)2013 UNIVERSAL STUDIOS All Rights Reserved.
配給:東宝東和

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初出

2014.02.19 15:30 | FILMS