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ホン・サンス監督
『3人のアンヌ』

確実に、面白い

文=

updated 06.13.2013

そもそも、例えば二番目のエピソードのほとんど全体が、愛人を待つアンヌの夢ないし想像の中で展開されているように構成されるし、そうである以上、この映画のどの部分がアンヌ自身によって夢見られていてもおかしくはないということになるだろう。

たしかに映画全体が、夢の中での出来事の反復や、よく知ってるはずの人物の変容といった現象を強く思い起こさせる。入れ子として挿入される脚本を書く女性の姿すらが、アンヌによって想像されていてもおかしくはない。そして三人のアンヌたちもまた、四人目のアンヌによって夢見られているのかもしれないという気分になったりもする。

カメラもまた禁欲的なわけでも、スタイリッシュなわけでも、はたまた生々しいわけでもない。ただ、我々が日常生活の中でちょっと距離を置いて、でも好奇心はそそられながら景色を眺めているときのように登場人物たちを見つめている、といった趣を持っている。だから、気ままにズズイとズームしたり、急にクイッとパンをかましたりする。そういうカメラの動きにも、作り手の強い自意識や美意識が滲み出ているのではなく、単に自由という感じがある。

そう。こんな風にして映画が出来上がってしまって良いものなのかと呆気にとられるほどに自由なのだが、その中ではたしかに人間たちが自律的に生きているし、だからこそ彼らを眺めていて飽きない。

 

三番目のエピソードに登場する僧侶に、「(人生のできごとに)意味などない」というニュアンスの言葉を口にさせたりして、観客の疑問符を回収してやるような素振りも見せるのだが、もちろんそんなことだけを語るために作られた映画でないことはすぐにわかる。

なにしろスクリーンの上では確かに、ある人間たちの姿が点描されることでいくつかの現実が生成されていて、それを見ているのが面白いのだから。そもそもその僧侶自身が、西洋人の求める“東洋の僧侶”というイメージを英語で演じていたに過ぎないのは明らかで、その愛らしくもみみっちい姿が我々の微笑みを誘うのだから。

要するに、決してコンセプトなりフォルムだけが面白いという映画ではないのだ。ましてやストーリーだけということでもない。ただ確実に面白いし、それを言葉に変換するのは簡単ではない。そこが映画にとって重要な点なのだ。まるで道ばたでぼんやり人間観察しているときのような楽しさ、と口にしただけで、もう色あせてしまうのだから。

☆ ☆ ☆


『3人のアンヌ』
6月15日(土)より、シネマート新宿ほか全国順次ロードショー!
公式サイト http://bitters.co.jp/3anne/

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初出

2013.06.13 15:00 | FILMS