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SVが選ぶ “クリスマスは映画三昧!” Vol.4

マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督
『フォンターナ広場——イタリアの陰謀』

霧が晴れることはない

文=

updated 12.20.2013

1969年12月12日夕刻、ミラノのフォンターナ広場に面した全国農業銀行が爆破され、17人が死亡、88人が負傷する。冷戦下、学生・労働運動が激しく燃え上がり、国家に揺さぶりをかけていた時代の話である。そして容疑者は幾人も逮捕され、いくつもの裁判が行われたが、罪を償った者は一人もいなかった。極左から極右、司法と政治が複雑に入り乱れ、事件は黒い霧の彼方に葬り去られたのであろうことは、想像がつく。だが実際のところ、その事件はどのようにして生きられたのか。それを映画という形式で物語るのが、この作品である。

物語の視線を主に担うことになるのは、ミラノ県警のルイジ・カラブレージ警視だが、スクリーンに登場した瞬間からすでに、その全身からは倦怠が滲み出ている。アツさを微塵も感じさせないその姿を通して、我々はまず好感を覚えることになるだろう。少し前に起こった列車爆破事件の捜査を進める中で出会うアナキスト・グループのリーダー、ピネッリと言葉を交わす何気ない様子からも、この作品がテーマやメッセージに奉仕する居丈高な「社会派」ではなく、歴史の転換点が日常の時間と地続きに接続する瞬間を捉える映画であることが理解される。

ことさらな物語化を徹底して避けつつ小さな場面を積み重ねることで、事件の全貌ということではなく、事件を生きた人間たちの姿を点描的に浮かび上がらせてゆくこの映画の力が最も端的に現れるのは、警察署での取調中にピネッリが転落死するシークエンスだろう。画面の外にある思惑と陰謀が、観客にも判然としない形で画面内になだれ込み、ふと視線が外れたところで、音響によって異常事態が知らされる。その場に居合わせた連中の、口裏を合わせているようないないような、だが動揺していることだけは確かな、といった空気感は、中途半端な演出力で醸成できるものではない。

 

近過去の歴史ものとはいっても、わからないものをムリに見せることはしない。だが主人公が手探りで見いだすものについては、彼が徐々に見いだしてゆくのと同時進行で、観客の中で少しずつ結像してゆくように提示してみせる。ある瞬間に劇的な発見が起こり、すべての霧が晴れるようにして全体の景色が見渡せるようになるということは、この現実の世界ではほとんどないのだから、ここでも起こらない。

そういう意味では、娯楽映画の定型的な物語からは最も遠いところにある物語と言える。それを承知の上で、この映画は最後まで解けない緊張を維持し、一音一音つま弾くように世界のありようを描出してゆく。フォンターナ広場での爆殺のような所業にあらがうには、それ以外に方法はないということでもあるだろう。

 

ところで今回の日本語字幕版は、登場人物の肩書きと名前、それからスクリーンに登場する場所の名前といったものにいたるまで丁寧に表示することで、事件そのものや時代背景になんの予備知識も持たない我々であっても、余計な混乱に陥ることなくスクリーンに浮かび上がる人間たちの風景に集中できるよう配慮されていることを、蛇足ながら記しておく。

☆ ☆ ☆

『フォンターナ広場——イタリアの陰謀』
12月21日(土)より、シネマート新宿ほか全国順次公開
オフィシャルサイト http://moviola.jp/fontana/

© 2012 Cattleya S.r.l. – Babe Films S.A.S

 

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初出

2013.12.19 15:00 | FILMS