北緯48度の読書日記/Lecture à latitude 48ºN 2
アンナ・エンキスト(1945~/オランダ)
『クァルテット』
「クァルテット」のタイトルどおりアマチュア弦楽四重奏団の物語がアムステルダムを思わせる水辺の町で展開する。おもな登場人物は80歳になる元プロチェリストと弦楽四重奏団のメンバーである。
それぞれの章は5人のうちの一人にそくした描写で、三人称の語りの随所に「心内の声」が挿入される。誰か一人がスポットライトを浴びて目立つ存在ではなく、たとえば第一ヴァイオリンが「聴かせどころ」となる主旋律を奏でるとしても、それに寄り添い支える第二ヴァイオリンがあってこそ引き立てられる、まさに「四重奏」(正確には5人いるので「五重奏」だが)のような小説。
[フランス語版]
Anna Enquist, Quartuor, Actes Sud (France), 2016
Roman traduit du néerlandais par Emmanuelle Tardif.
第一ヴァイオリン奏者は楽天的な中年男。もとはコンサートホールとして創設され、いまは文化的機能が骨抜きとなって単に「センター」と呼ばれている公共施設の館長。上役にあたる市長助役の公私混同に辟易しながら、飄々とかわす。第二ヴァイオリン奏者はその従姉妹、診療所で事務や医療助手として働きつつボランティア活動にもはげむ、絵に描いたような善人。同じ診療所に勤務する女医がチェロ奏者。その夫がヴィオラ奏者で、本業は弦楽器職人である。
チェロ奏者とヴィオラ奏者の夫婦は2年前、息子ふたり(10歳と11才)を学校のバス旅行事故で失い、そのショックから立ち直れずにいる。
とりわけ遠足当日の朝、息子らを見送りに行った妻は、仕事に遅刻するのを気にしてバスの出発をいらいらしながら待っていた。それが、生前の息子たちを見た最後になってしまったこと、息子らが遠足のおやつに欲しがっていた甘いお菓子を、身体によくないからといってあげなかったことなどを反芻しては後悔し、罪悪感にさいなまれている。だが、かといって、自分とおなじ境遇にある親たちのグループセッションなどに参加する気はさらさらなく、そのように一括りにされるのを忌み嫌い、憤り、不幸な者同士の馴れ合いだと軽蔑さえする。ひたすら自分の殻に閉じこもり、周りは腫れ物にふれるような雰囲気となる。
夫は事故当日、弓の買い付けのためパリにいて、商談がまとまり会食中に電話で訃報を受ける。子どもを失った絶望もさることながら、塞ぎこむ妻との生活を耐えがたく感じている。
ちなみに女医は老チェリストの唯一の生徒である。そして4人は毎週金曜の夜、第一ヴァイオリン奏者の住まいでもある平底船のリビングに集まり、たとえば小説の前半ではモーツァルトの弦楽四重奏曲「不協和音」を練習している。
著者自身ピアニスト(精神分析学者でもある)だけに、演奏の描写、楽器職人が楽器のメンテナンスをするプロセスが具体的で、弦楽器好きにはたまらなく魅力的だ。音楽によって女医の悲しみが「癒され」頑なな心が「ほぐれ」るような描写は皆無だが、音楽あるいは演奏することの浄化作用、それによってもたらされる幸福感がおのずと想像される。
小説の舞台はオランダ――具体的記述はないが、「オランダ語が話せない」移民という表現がある――、時代は近未来のようだ。というのも文化政策や医療システムが微妙に、否、格段に悪化しているのだ。
たとえば、クラシック音楽のコンサートは公的補助の廃止によりほとんど行われず、まれに行われてもチケットは超高額となる。したがってプロの楽団は多くが解散している。「活字のない世界」を描く近未来小説があるが、そのクラシック音楽版。いや、すでにこの世界には活字もないのかもしれない。
また、高齢者の在宅介護(家政婦や看護士の訪問、医師の往診)は禁止され、自力で生活できなくなった老人は施設に送られる。そこがどのような場所かは描かれないが、一年後には入所者の大半が死ぬ。
「うっかりするとこうになりかねない」と思わせる不気味な現実感がある。
独身の老チェリストは膝が痛み、自宅内の移動すらままならなくなる。だが、弱みを見られれば通報され、老人施設に送られるかもしれない。そうおそれて家に閉じこもっている。そんなある日、この家から聴こえてくるチェロの調べに惹きつけられた少年と知り合う。乞われてバッハの無伴奏チェロソナタを弾くと、少年はしずかに耳を傾ける。
「ビンは重いし、ぼくが持つよ」というふうに少年がゴミ出しや生活必需品の買い物を申しでる。老チェリストは少年(モロッコ移民の子)を警戒したりとんちんかんな忖度をしながら、実際のところ助かるし、ありがたく、感心な可愛い子どもだと思うようになる。しかし、どのように感謝の念を伝えればよいか、チェロを教えてはどうだろう? 謝礼を払ったら親が気を悪くしないだろうか?
小説全体をとおして登場人物らの生きにくさ、気軽に他人に頼れず、隙を見せられない雰囲気がただよう。報道されるニュースも暗くあさましい事件だったり、だからこそ、音楽が描かれると清らかな気分、甘い気分にさせられたり、慰められたりする。音楽によって明るい展望がひらけそうだとも期待させられるが、そうはいかない。
モーツァルトの「不協和音」は前奏だったのか。それまで漠然とただよっていた不穏な空気は、結末で一挙に殻を破って噴出する。