2018_03_19 Neige2

北緯48度の読書日記/Lecture à latitude 48ºN 1

フアン=ガブリエル・バスケス(1973〜/コロンビア)
『廃墟の肉体』

文・写真=

updated 03.25.2018

コロンビアの作家フアン=ガブリエル・バスケスの新作(原著は2015年刊)は、語り手が「フアン=ガブリエル・バスケス」という作家で、バルセロナやベルギー在住歴なども作家本人の経歴と重なっている。しかも、ところどころで語り手が目の当たりにするモノ――頭蓋骨、脊髄のホルマリン漬けといった法医学標本など――の写真が挿入される。

語り手はかつて世話になった外科医を介して、ある男と知り合う。カルロス・カルバロというこの男はガイタン暗殺事件に異常なまでの興味をもっていた。

そもそも、ガイタン暗殺事件とは何か? 1948年、次期大統領として有力視されていたリベラル党のリーダー、ホルヘ=エリセル・ガイタンが、ボゴタ中心部の路上で銃撃される。発砲した男はその場で巡査に捕らえられ、近くの薬局内で一時的に身柄を拘束されていたが、怒り興奮した群衆によって引きずり出され、リンチされて死ぬ。したがって、実行犯が誰の指図で犯行におよんだのかという真相は闇に葬られる。のみならず、この暗殺事件を引き金に民衆の暴動が発生、政府は軍を動員して弾圧し、多くの破壊と死傷者を出す暴力と渾沌の時代が50年代までつづいた。この時期にコロンビア革命軍(FARC)などのゲリラ組織も台頭したという。

[フランス語翻訳版]
Juan Gabriel Vásquez, Le Corps des ruines, Seuil, 2017.
Roman traduit de l’espagnol (Colombie) par Isabelle Gugnon

コロンビア社会を脅かすテロルといえば、まずは麻薬王パブロ・エスコバールの独壇場というイメージがあり、それは、この著者(と同世代のコロンビア人)の体験としてこれまでの作品でもたびたび言及されてきたし、コロンビア政府と革命軍の内戦終結はごく最近(2016年)のことだが、それ以前にもずいぶん物騒な時期があったことがわかる。

さて、カルバロは近年(2010年)出版されたガルシア・マルケスのエッセイに書かれていた「実行犯を薬局から出すように唆した身なりのよい男がいた」という一節にとびつき、ガイタン暗殺の首謀者が、どさくさにまぎれて実行犯のリンチ殺害を誘導したと固く信じ、これを究明しようとする。ケネディ暗殺事件におけるオズワルト単独犯説を否定するのと似た心性である。
たとえ真相が明らかになっていないとはいえ、陰謀説の虜になっているカルバロを内心軽蔑しながら、語り手はある目的のため、彼の依頼に応じて、ガイタン暗殺について本を書くことを承諾する。

ラジオの深夜番組の司会をするカルバロが夜明けに帰宅し、昼まで睡眠をとるあいだ、彼の自宅でまず語り手が読むように要求されたのは、1914年に起きた、これまた政治家暗殺事件の「陰謀」を暴こうと試みる本だった。

こちらの暗殺事件では、ラファエル・ウリベ=ウリベがボゴタの自宅そば路上で暴漢に襲われる。凶器は斧。頭部を負傷した政治家は数時間後に死亡する。二人の職人が実行犯として逮捕され、仕事にあぶれた彼らが、政治家に反感をもち、むしゃくしゃしてやったと見做される。本の筆者はこれに疑いを抱き、独自に調査をすすめるうち、裏で手引きしたのが保守派貴族と警察の長官、そしてイエズス会ではないかとの疑いが濃厚になっていく。しかし、決定的な証拠が挙がらないまま、警察側からは妨害(陰謀説にとり憑かれた者の妄想?)がはいり、結局「陰謀」の存在は証明されずに終わる。

どちらの事件もじつに禍々しい。ガイタン銃撃や実行犯のリンチの模様、斧で頭を割られ、なお生きている政治家に、必死の治療が試みられる様子などが、いちいち生々しく再現され、それで500ページ超となる。結果として、些細なきっかけで暴発エスカレートする暴力のエネルギー、強い感染力をもつ瘴気のような異様な空気が漂う。

読みすすめるうち、この小説は最近よく目にする陰謀説批判、より正確には、陰謀説に簡単に惹きつけられる現代の蒙昧主義批判のような気がしてきた。ふだんなら、この手の批判とセットになるイスラム過激主義やポピュリズムの問題への言及はないが、著者なりの揶揄なのか。

そう感じながら、ウリベのつづく耳慣れない名前の政治家をネット検索すると、なぜか一番最初に目についたのが「ラファエル・ウリベ=ウリベ教会」で、ポカンとしてしまった。「実在の人物」「史実」と思い込んでいたものが、じつは小説家の創作だったのか? というおおきな疑いが頭をもたげた。そのように疑ってかかると、小説の「語り手」が作家と同名なのも、いかがわしい写真が「証拠」然と挿入されているのも、ひとえに本当らしさを演出するための仕掛けに見えなくもない。「事件」そのものが捏造なら、その裏に隠された「陰謀」説など、どだい成立しない。なんという皮肉。それほど穿った小説だったのか?

いや、落ち着いて検索すると「ラファエル・ウリベ=ウリベ」はウィキペディアにも載っている政治家だった。疑いはたちまち氷解したが、足もとの床がふいに抜けたような、言いようのない不安にとらわれたものだった。

フランス語版版元のウェッブサイトには、作家本人による作品紹介動画がアップされている。これによれば、この小説には作家の個人的体験がすなおに反映しているようだ。小説にあるとおり、作家は2005年ボゴタで最初の子ども(双子の娘)を授かる。また、このボゴタ滞在中、ある高名な外科医から、暗殺された政治家の脊髄と頭蓋骨を見せられる。

コロンビアで世代を超えて受け継がれる負の遺産、暴力。それを象徴する遺物に触れた手で、生まれたばかりのかよわい赤ん坊を抱いた彼は、どうすれば我が子をその暴力から守ることが出来るのかを考えずにはいられなかった。コロンビアの暴力の歴史、その土壌を理解しようと真摯に試みたのが、この小説なのだった。

[原書]
Titre original: La Forma de las ruinas, Alfaguara, 2015