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北緯49度の百葉箱 9

劇場の扉

文・写真=

updated 04.06.2016

日が長く、光が強くなり、連翹や桜の花がほころび始め、春めいた気分にさせられるのだが、まだまだ空気は冷たい。

パリには劇場が多いが、このまえ行った劇場ほど小さい小屋は初めて見た。

開演時刻すぎまで歩道に並んで待ち、ようやくドアを入ると、いきなり目の前に階段状の観客席。つまり出入口のドアが舞台の背景に穿たれている。ドアを入ってすぐ横手に、樽の上に板を渡しただけのカウンターがあり、さながらエントランスホールの受付カウンターといったしつらえなのだが、それが舞台のセットらしい。舞台といっても、演壇のように高くなっているわけではなく、単にゆか。しかもスペースはたたみ六畳もあるかというほどの狭さで、最前列にすわれば役者の唾を浴びる至近距離である。3列目に席をとり、いささか当惑しあきれつつ「劇場」内部を眺めているうち、出入口のドアが閉ざされ、演劇が始まった。

舞台の片側に曲がりなりにも袖のようなものがあり、そこから役者が登場し、文字どおり所狭しと動き回る。だが、役者が出入りするのはその袖だけではなく、観客席の後方、そして例の出入口のドアも使われるのだった。

もちろん、そのドアのむこうは寒空の下の公道である。歩道があり、二車線の道路を隔てたむこうにはガラス張りのカフェなどが並んでいる。そのドアから役者が登場したり、外へとび出していったりするのだ。

演目はモリエールのドタバタ喜劇だから、役者たちは17世紀の扮装で、金髪の縦ロールにドレスの侯爵夫人、青いヴェールで全身を覆ったえせトルコ人やらせむし乞食、しかもハコ同様の小劇団だから一人で何役も兼ね、むくつけき剣士を、眉毛と髭を黒々と顔に描いた女優が演じていたりする。舞台であればこそ受け入れられるそんな外見の彼らが、アスファルトの路上へとび出していく。通行人がギョッとして後ずさりするのがドアの開口部分から垣間見える。ぷりぷりして出て行った侯爵夫人が、道路を渡ったらしく、むこう側のカフェの前をしゃなりしゃなり歩く後ろ姿、すれ違う通行人に手を振ったりなどしているのが遠目に見える。

観客席の後ろのほうで、おばさんがひときわ甲高い声で笑うのが聞こえる。ドアが開くたび、まるで吠えるように笑っている。位置にもよるが、観客がドアの開口部分から覗ける範囲はかぎられている。彼女の位置からは外の様子がよく見えて、なにか笑える事態が起きているのか、知るよしもない。しかし役者たちの姿を見れば、ドアの外で営まれている日常とのギャップは歴然で、もし彼らのように奇抜な身なりと身ごなし、汗だくで目を光らせた人に路上で出くわしたら、誰でも驚くだろう。実際に見えなくとも、通行人の反応がおのずと想像される。

このドアから上演中の「舞台」に唐突に子どもがふたりとびこんで来た。一人はあっという間に逃げ去り、もう一人はその場に立ちつくし、舞台の真ん中でスポットライトを浴びて観客の注目を集める格好になった。俳優は役のままでこの少年を抱きこむようにして話しかけながら、観客席に導こうとしたが、少年が「間違えた」とつぶやき、あわててドアの外へ送り出してやる。芝居はそのまま続行したが、しばらくして、またドアから役者が登場するのと一緒に、先ほどの子どもたちと父親が入って来て、そそくさと観客席についた。

開演時刻に遅れた客は舞台を通過しなければならない劇場なのだった。