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北緯49度の百葉箱 11

ペンキの厚み

文・写真=

updated 10.24.2016

いつもなら夏の休暇から帰宅すると、草が丈高く茂っていてもおかしくないのに、芝生は黄色くはげちょろで、むきだしの地面には深い地割れがはしっていた。今年はいっこう春が来ないで嫌というほど雨が降っていたが、それもすっかり干上がるくらい、夏の乾燥がはげしかったようだ。

枯れた草のうえに見慣れない糞があるのに気づいた。猫の糞ならときに見かけるが、そうではない。だいたい、サクランボの種のようなものがぎっしり混ざり、土をかけた形跡がない。その後、注意してみると、そのような糞のみずみずしいのが毎朝ひとつ、どこかしらに落ちている。

落とし主は誰か? 金網のすきまから入れるくらいの小動物で、猫以外にどんな動物がいるだろう? 量から言って、鳥や野ネズミでないのは確かだ。ハリネズミならナメクジを食べてくれるから大歓迎だが、もう何年も見ていないし、だいたい彼らの糞が目についた憶えはない。皆目、見当がつかない。

気にはなるが、落とし主をつきとめるため策を講じるほどでもなく、目下ペンキはがしをしなければならないのだった。

強烈な陽射しと乾燥のせいもあるのか、木製の窓枠のペンキが劣化し、ウロコ状にはがれかけている。ペンキをはげたままにしておけば、そこから湿気が入りこみ、木が朽ちはじめる。じめじめした秋冬が来るまえに、塗り替えることにした。

ペンキ塗りの仕上がりは、塗るまえの表面をいかになめらかにするかにかかっている。下準備の仕上げにヤスリをかけるにしても、はがれかけたペンキは、まず完全にはがす。だが、はがした跡がくっきり残ってはいけない。段差をならすため、周辺のペンキもはがしていく。金属製のヘラの先でこそげ落とし、ときに専用の器械で熱をあててはがす。

ゾリリッと乾いた音をたて、胸のすくようなはがれ方をするのは始めのうちだけ。やはり大半は下地に密着し、ヘラ先をあてる角度か力のいれ加減がまずいと、木の繊維まで一緒にはがれ、あわてることになる。うずくまり、あるいは窓にへばりつき、ペンキの表面を舐めるように凝視しながら作業していると、ひとくちにペンキはがしと言っても、そのはがれ方、剥片の形と大きさ、厚み、角度はまったく一様でないのがわかる。はがした跡が、火口湖や群島、あるいは半島、リアス式海岸などに見えてくる。厚塗りのところがパキッとはがれると、その跡はまるでノルマンディーの海にそそり立つ絶壁である。

中島敦の『名人伝』では弓の名人になる志をたてた男が、まずは、ものを見る訓練をする。シラミを一匹自分の髪の毛で縛って窓から吊るし、これをにらみ続けて三年。ふと気づくとシラミが馬のように見え、しめたと思って外へ出れば、馬が山、豚が丘のように見える。そんな大陸的荒唐無稽の世界に妄想を巡らしながら、ちまちまと手作業を続ける。

爽やかな秋晴れの朝方、2階の窓にハシゴをかけ、足もとに不安をおぼえつつ作業していると、視界に動くものがあった。下を見ると、リスが駆けてきた。地上2、3メートルにいる人間は目に入らないのか、わたしの足もとの低木に駆け登って、降りて、金網を抜け、隣家の芝生を斜めにつっきって去っていった。

全身が赤茶色で、さすがに馬のようには見えなかったが、太いしっぽの毛が光を透かし、きらきら輝いていた。近くの公園では見かけても、こんなところまで来ているのは知らなかった。

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