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北緯49度の百葉箱 10

亀の徘徊

文・写真=

updated 06.19.2016

東京に住んでいたとき、家の近くに公園があった。すり鉢状の公園の真ん中に大きな池があり、それをとりかこむように植えられた木々は、夏ともなれば鬱蒼と繁茂し、やたらと蚊が出る。公衆便所とたばこの吸殻入れがあって、よくタクシー運転手が休憩場所にしていた。

ある初夏の朝、いつものように公園沿いの道を歩いていると、前方のアスファルト上にこんもりとした黒いシルエットが見えた。それがごくゆっくりと移動し、道を横断しようとしている。亀だった。考えるまでもなく、公園の池から出てきたものだ。住宅地のせまい道でも車は通る。いくら硬い甲羅があるとはいえ、轢かれたら危ないではないか、と思ううち、やはり前方で、本を読みながら歩いていた制服姿の小学生が立ち止まって本をしまい、両手で亀を拾い上げ、公園の遊歩道を池のほうへおりて行った。

それからまもなく、また亀に出くわした。今度はもっと公園から離れた隣家の前である。はじめは、夏服が眩しい登校中の女子中学生ふたりが色めき立っているので、なにごとかと彼女らの視線を追うと、地面に体長30センチはあろうかという亀がいた。ふたりは身を寄せ合って、どうしよう、どうしよう、ここのおうちの人に言ったほうがいいかな、などと話している。そんな少女らをよそに、亀は無骨にのろのろ歩きをやめず、なおも公園から遠ざかろうとしている。

だが、そちらへ行ったところで延々と住宅地が続くばかりで、公園も緑地も水場も、どぶすらない。学校へ急がなければならない彼女らを安心させてやりたくとも、わたしは素手で大きな亀を触るのは気が進まない。彼女らの初々しい動揺ぶりをほほえましく思いながら、実は自分もかなり途方にくれていた。

路上で亀に遭遇したら、どうすべきか? ない知恵を絞り、混乱しつつ家に戻り、とりあえずマリンスポーツ用の手袋をひっぱり出して、とって返した。だが、亀の姿はどこにも見あたらなかった。逃げ足が速いわけはない。きっと誰かが池に戻したのだろう。

その後、また家の前の路上で亀に遭遇した。こう繰りかえされると驚きも恐れも減り、しょうがないなあ、と今度は亀を拾い上げ、回れ右して公園へ向かった。なにより恐れていたのは噛まれることだったが、持ち上げると都合よく頭を引っ込めた。とはいえ、甲羅以外の部分には触れないよう、触れる面積はなるべく小さくなるように両手の指先で挟むように摑み、腕を目いっぱい前に伸ばして自分の体から離す。そうすると、よけい重く感じられた。

いざ池につくと、囲いの柵から水際までが意外と離れている。柵は丸太を模したコンクリート製で、その隙間から手を伸ばしたくらいでは護岸の岩まで届かない。ずっしり重たいので、池に放り投げるのもためらわれる。かといって、池端に置いただけでは、また徘徊をはじめるかもしれず、元も子もない。池にせり出した岩を柵の近くにようやく見つけ、亀を置いた。

見れば、池には亀がうようよいた。池のなかの岩で甲羅干しをする者、頭を水面に出して泳ぐ者。人口過密の息苦しさを逃れようとしたのか? 亀の共同体から排斥されたのか? どんな意図があってかは不明だが、この池から斜面を這い登って住宅地までの道を踏破するのは、亀にとって並大抵のことではない。少なくとも、時間がかかる。一晩かけて歩いたのか、日の出とともに出発したのか、それをあっさりと帳消しにし、また出発点に連れ戻したのはひどく罪な気がした。

再び池のふちに立った亀はなにを思うのか。動かない。単に動きが遅く、反応に時間がかかっているだけなのか。無事、水に入るのを見とどけようとしばらく待っていたが、よそに目を移した隙に、バシャッと派手な水音がし、ふり返ると亀の姿はなかった。