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猫狂いのアトリエ
散歩の凡人26 日暮里その二
谷中銀座に向かうには急な勾配を下っていくことになるが、その前に左手の路地に入り、朝倉彫塑館をのぞくことにする。2009年から2013年にかけて耐震補強工事と保存修復工事が行われていたため、暫くの間、入館できな READ MORE...
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散歩の凡人26 日暮里その二
谷中銀座に向かうには急な勾配を下っていくことになるが、その前に左手の路地に入り、朝倉彫塑館をのぞくことにする。2009年から2013年にかけて耐震補強工事と保存修復工事が行われていたため、暫くの間、入館できな READ MORE...
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散歩の凡人25 日暮里その一
日暮里駅の東口方面はロータリーになっていて、向こう側には「馬賊」という看板が見える。ここは凡人が学生だった頃から営業している店だが、聞くところによると、1980年代中盤にはすでにこの地で店を構えていたらし READ MORE...
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散歩の凡人24 鶯谷その三
子規庵にあった近辺の案内図にねぎし三平堂という記載があり、これはいったい何だろうと尋ねたところ、林家三平の思い出の品々を展示した記念館であるという。凡人などは「どーもすいません」というギャグをおぼろげ READ MORE...
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散歩の凡人23 鶯谷その二
以前、所用で鶯谷を訪ねた際、この地に正岡子規の住んでいた家が残されていることを知った。機会があれば一度足を運んでみたいと考えていたから、今日は子規庵に向かうとする。途中、風情のある建物が見えてきて、看 READ MORE...
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散歩の凡人22 鶯谷その一
いつ来ても鶯谷の駅前は閑散としている。上野駅からたった一駅しか離れていないのに、上野の賑わいとはまるで関係がないような顔つきである。ものの本によると鶯谷駅の乗車人員は山手線で一番少ないらしい。JR東日本 READ MORE...
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散歩の凡人21 上野その三
東京国立博物館(トーハク)は日本最古の博物館である。最古といっても明治期に遡る程度であり、おおよそ140年ほど前に誕生した。同館の「館の歴史」より引く。 東京国立博物館は明治5年(1872)3月10日、文部 READ MORE...
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散歩の凡人20 上野その二
上野オークラ劇場は不忍池のほとりにある。池があるということは、そこが低地であることを示す。低地にはピンク映画館があり、そこから上野の山をのぼっていくと、高台のあたりには博物館や美術館が立ち並ぶ。高級文 READ MORE...
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散歩の凡人19 上野その一
アメ横を通り抜けると、頭上に山手線の高架が伸び、これが陽光を遮っているため、駅に渡る横断歩道のあたりはいつも薄暗い。正面に見えるのは上野駅の不忍口である。 上野公園側には線路と平行するかたちで小奇麗 READ MORE...
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散歩の凡人18 御徒町その三
御徒町駅から上野駅に向かう高架下は山手線随一の活況を呈している。言わずもがなのアメ横である。少年時代、凡人は「POPEYE」を愛読していたから、このあたりのアメカジ系ショップにはちとうるさいのだ。……というの READ MORE...
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散歩の凡人17 御徒町その二
燕湯を出ると時刻は12時。ちょうど昼飯時である。この時間になるともはや朝酒でもなんでもないが、風呂ついでにビールを一杯ひっかければ、凡人も小原庄助さんになれるであろうか。その前に潰すだけの身上がなければ READ MORE...
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散歩の凡人16 御徒町その一
秋葉原駅の電気街口方面から御徒町駅に向かってしばらく歩くと、高架下に肉のハナマサがある。向かい側ではロボット専門店のテクノロジアが営業していて、実にこの地域らしい光景である。つまりここでは夕食用の鶏肉 READ MORE...
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散歩の凡人15 秋葉原その三
池波正太郎行きつけの店(竹むら)と萌えキャラ(『ラブライブ!』の穂乃果)の結びつきは、ロートレアモン言うところの「解剖台の上でのミシンと蝙蝠傘との出会い」のようなものかもしれない……などと益体もないこと READ MORE...
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散歩の凡人14 秋葉原その二
神田須田町の味の三角地帯は、昭和の面影をいまだに残しているが、反面、その目と鼻の先にある万世橋付近に関しては、都内各所の例に漏れず、再開発が進む。中央本線の高架下には、かつて交通博物館があったが、惜し READ MORE...
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散歩の凡人13 秋葉原その一
神田駅から秋葉原駅に向かう場合、高架下を歩いていくより、中央通りを北に向かう方がいい。須田町の交差点を突っ切れば万世橋に辿り着き、秋葉原はもう目と鼻の先である。その前に寄り道をする。 須田町の“味の READ MORE...
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散歩の凡人12 神田編その三
小鷹信光が翻訳と評論を通してハードボイルド小説の魅力を伝えてきたとしたら、実作でそれを行ったのが大藪春彦である。大藪の『野獣死すべし』は、1980年に村川透監督・松田優作主演で映画化された。これは偶然だが READ MORE...
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散歩の凡人11 神田編その二
凡人はSFやミステリを読んで育った人間だから、半世紀以上にもわたり、海外作品を翻訳出版してきた早川書房には足を向けては寝られない。本社は神田多町にあるが、この日向かったのは神田駅の反対側、神田東松下町で READ MORE...
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散歩の凡人10 神田編その一
神田駅近くにある喫茶店「エース」の創業は1971年。2009年1月15日付けの朝日新聞によると「コーヒー界のエースになろう。そう弟たちと誓い、店名を付けた」とのこと。もともとは父親が始めた店だそうで、現在はSさん READ MORE...
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散歩の凡人09 東京編その三
東京駅から真っ直ぐ皇居方面に向かい、和田堀噴水公園を右に曲がって、しばらく行くと大手門が見えてくる。ここから皇居東御苑に入園できるのである。宮内庁のホームページを見ると「昭和35年1月29日の閣議決定に基 READ MORE...
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散歩の凡人08 東京編その二
東京駅には東京ステーションホテルが隣接していて、こちらも駅とほぼ同時期に開業しているから、ホテルの方ももうすぐ100年が経とうとしている。丸の内駅舎の保存・復原工事に合わせ、東京ステーションホテルも2006 READ MORE...
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散歩の凡人07 東京編その一
東京駅が営業を開始したのは1914年(大正3年)12月20日のこと。2014年末には開業100周年を迎える。それを寿ぐように、ここ10年ほど駅周辺では大規模な再開発が相次いでいる。不景気などどこ吹く風。商業施設が次々に READ MORE...
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散歩の凡人06 有楽町編その三
「有楽町で逢いましょう」について、阿久悠は「終戦以来消し去れなかった「ラク町」の暗いイメージを拭き取った」と評した。そもそもの話、「ラク町」の暗いイメージとはどこから来たものなのか。 1945年に第二次 READ MORE...
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散歩の凡人05 有楽町編その二
凡人の凡人たる所以は、発想や行動が凡庸なところにある。よって「五月晴れで天気も良いことだし、有楽町に下り立ったからには、足の向くまま気の向くまま、銀座をぶらぶらしてみようではないか」と考えたところで別 READ MORE...
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散歩の凡人04 有楽町編その一
フランク永井に特別な思い入れがあるわけではないし、「有楽町で逢いましょう」を口ずさむような世代でもない。なにしろこの歌が発売されたのは1957年(昭和32年)なのだから、この世に生まれてすらいない。にもかか READ MORE...
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散歩の凡人03 新橋編その三
旧新橋停車場が再現された一帯は、2004年に誕生した再開発地区で、だから現在、汐留といえば、いくつもの高層ビルがそびえ立つ汐留シオサイトのことを指す。こうした名称は港区の旧町名である汐留町に由来している。 READ MORE...
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散歩の凡人02 新橋編その二
途中でしんどくなったらさっさと劇場を出ればいいものを、律儀に洋画の二本立て、ピンク映画の三本立てにつきあってしまうというのは、貧乏性のなせる業。映画を楽しんだあとは、心地よい疲れを癒やすべく、ちょっと READ MORE...
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散歩の凡人01 新橋編その一
JR新橋駅・烏森口を出て、品川方面に向かって線路沿いを歩いていくと、高架下に映画館がある。新橋文化劇場と新橋ロマン劇場である。前者は洋画の二本立て、後者はピンク映画の三本立てが基本。いわゆる名画座で、シネコンのようなピカピカの空間とは正反対、だいぶ年季が入っている。 READ MORE...