凡人はSFやミステリを読んで育った人間だから、半世紀以上にもわたり、海外作品を翻訳出版してきた早川書房には足を向けては寝られない。本社は神田多町にあるが、この日向かったのは神田駅の反対側、神田東松下町である。関連団体の公益財団法人早川清文学振興財団があるのだ。同財団の挨拶文から引く。
「早川清は、1945年8月15日に早川書房を興し、演劇雑誌『悲劇喜劇』を創刊、以後演劇書並びに海外文学の翻訳出版に心血を注いできました。その志は国内外の演劇文化の向上に寄与すること、優れた海外文学の翻訳による日本への紹介と普及に尽くすことでした」
創業者の理念を社会事業として継続させるため、早川書房は1999年に財団法人早川記念文学振興財団を設立。2011年に公益財団法人の認定を受け、現行の公益財団法人早川清文学振興財団へと移行した。ここを訪ねたのは、財団が管理する小鷹信光文庫でペイパーバックを閲覧しようと思い立ったからである。これまた同文庫の案内より引く。
「『小鷹信光文庫 ヴィンテージペイパーバックス』は翻訳家・研究家・作家として知られる小鷹信光氏から寄贈を受けたペイパーバック1万点超を収蔵しています。しかもそのうちの90パーセント近くが1960年代末までに刊行されたヴィンテージペイパーバックスで、全体の約半数がペイパーバックオリジナル(PBO)であることが大きな特徴になっています。1950年代から半世紀以上にわたって氏が集めた蔵書は、アメリカ研究、戦後日本の文化史を語る上でも大変貴重な資料です」
http://www.hayakawa-foundation.or.jp/kodaka/
日頃、このコレクションは群馬県の倉庫でひっそりと眠っているそうで、閲覧希望のものに関してはあらかじめ書名を申請しておかなければならない(公式サイトで簡単に検索できる)。サイトには「特選表紙ギャラリー」も設けられており、これはデザインを眺めているだけでも愉しい。SF作家であり翻訳家でもあった故・野田昌宏は「SFってなァ、結局のところ絵だねェ」という名セリフを残したが、それをそっくりそのまま真似て、「ペーパーバックってなァ、結局のところ絵だねェ」と言いたくなる(なお、早川清文学振興財団は野田の膨大な蔵書も管理しており、こちらは「野田昌宏文庫」として公開されている)。
凡人が見せてもらったのはダシール・ハメット4冊。『ガラスの鍵(The Glass Key)』、『マルタの鷹(The Maltese Falcon)』、『赤い収穫(Red Harvest)』、『影なき男(The Thin Man)』。このうち『赤い収穫』を除く3冊はポケット・ブック版である。『マルタの鷹』が発表されたのは1930年。それから14年後の1944年にポケット・ブック版が刊行された。1944年ということは第2次世界大戦の真っ最中である。ちなみにポケット・ブックとは何ぞやということになると話がややこしくなるので、小鷹信光『私のペイパーバック〜ポケットの中の25セントの宇宙』(早川書房、2009年)を開き、「思い出のポケット・ブック」と題された章をお読みいただきたい。要は「ペイパーバック界の草分け」であり「ペイパーバックの代名詞」である。
ハメットに話を戻そう。小鷹にとってハメットは思い入れの深い作家のひとりである。2012年には改訳決定版『マルタの鷹』も出ている(この新訳をめぐるいきさつも面白い。詳しくは同書あとがきで)。そのほかハヤカワ文庫に収められているハメット作品はすべて小鷹が手がけてきたが、残念ながらそのほとんどは品切れである。村上春樹訳でレイモンド・チャンドラーの小説がふたたび脚光を浴びている一方、ハメットの小説は品切ればかりというのは、いったいぜんたいどういうことなのだと暗澹たる気分にもなる。見方を変えれば、ハメットはひそかに読み継がれていく作家なのだろう。
『赤い収穫(Red Harvest)』には小鷹による詳細な書き込みが残されていた。初出誌との突き合わせも行っていたようで、目次部分には覚え書きも記されている。小鷹はハードボイルド小説の受容に大きな影響を与えてきたから、後続の世代からすれば仰ぎ見るような存在である。だが、訳業そのものは地道で綿密な調査に支えられている。黒子に徹した姿勢と正確な読解は、あたかも小鷹が紹介してきた探偵たちのようではないか。
注:サディスティック・ミカ・バンドの楽曲「ダシール・ハメット&ポップコーン」(作詞:安井かずみ、作曲:加藤和彦)のタイトルを流用しています。