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散歩の凡人08 東京編その二

怪人二十面相と百鬼園先生

文・写真=

updated 08.04.2014

東京駅には東京ステーションホテルが隣接していて、こちらも駅とほぼ同時期に開業しているから、ホテルの方ももうすぐ100年が経とうとしている。丸の内駅舎の保存・復原工事に合わせ、東京ステーションホテルも2006年から休館していたが、2012年に営業を再開した。

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ステーションホテルといえば、なんといっても明智小五郎と怪人二十面相である。江戸川乱歩の『怪人二十面相』は、1936年(昭和11年)、1年間にわたり『少年倶楽部』で連載された。これは乱歩初の少年ものであり、当時の読者から熱狂的に支持された。その後、少年探偵団の物語はシリーズ化され、長きにわたり人気を博すことになる。

名探偵・明智小五郎は「巨人と怪人」と題された章で初めて読者の前に登場する。外国から帰ってきた明智が東京駅のプラットホームに姿をあらわす場面はこうである。

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「ブレーキのきしりとともに、やがて列車が停車しますと、一等車の昇降口に、なつかしいなつかしい明智先生のすがたが見えました。黒いせびろに、黒い外套、黒のソフト帽という、黒ずくめのいでたちで、早くも小林少年に気づいて、にこにこしながら手まねきをしているのです」

迎えにきた小林少年の傍らに佇んでいるのは、外務省の役人に変装した怪人二十面相。怪人は「ここの鉄道ホテルで、お茶をのみながらお話したいのですが」と探偵を誘い込むが、実はすでにこの時点で正体を見破られているのである。この後、名探偵と怪人との丁々発止のやりとり、怪人のめくるめく逃走劇が展開し、東京駅やステーションホテルといった近代的な空間を活かした乱歩の筆は冴えに冴えわたる。

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ステーションホテルの怪しい宿泊客として、もうひとり忘れてはならないのが作家の内田百閒である。毎年正月三日に百鬼園先生は法政大学の教え子たちをステーションホテルに招き、食事会を催したことで知られているが(これは百鬼園先生の誕生日パーティ「摩阿陀会」への返礼として開かれた)、ここではそのような和気藹々とした挿話ではなく、日本幻想文学史上に燦然と輝く傑作『東京日記』がステーションホテルで執筆されたことに触れたい。

『東京日記』は1938年(昭和13年)『改造』新年号に掲載された。百鬼園先生は前年1937年(昭和12年)の年末に2週間ほど「東京驛の鐵道ホテルに泊まり込み」、400字詰め原稿用紙96枚分の幻想譚を一気に書き上げる(つまり怪人二十面相の出現と「東京日記」の執筆はほぼ同時代の出来事である)。

『東京日記』で描かれているのは東京のそこかしこで出来する奇妙な出来事である。以下、百鬼園先生の旧仮名づかいに倣って地名を挙げる。日比谷の交叉點、銀座裏の狭い横丁、市ケ谷の暗闇坂を上つた横丁、仙臺坂から天現寺橋のあたり、雑司ケ谷の森、九段の富士見町通、植物園裏の小石川原町の通、山王下の料亭、神田の須田町、湯島の切通し……。

ステーションホテルで書かれたことが関係しているのだろう、「その四」では東京駅正面に立つ丸ビルの不可解な消失が語られ、「その十一」では東京駅の食堂で同席した学生たちの奇矯な振る舞いが記される。締めくくりとなる「その二十三」では、ホテルで執筆中の作者自身が登場し、ここに至って虚構と現実の境目はひどく曖昧になってしまう。

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現在『東京日記』は『東京日記 他六篇』(岩波文庫)や『百鬼園百物語〜百怪異小品集』(平凡社ライブラリー)で手軽に読める。ただ残念なことにどちらも新漢字、新仮名づかいを採用している。岩波文庫版では弟子の中村武志が「生前の師を思えば、旧漢字、旧仮名づかいを守り抜きたい気持」であり、「霊界で師にお目にかかることを得れば、まず新漢字、新仮名づかいに勝手になおしたことをお詫びし、ひたすらにお許しを乞うつもりである」と異例の断り書きを添えている。これは中村が悪いのではなく、文庫化当時(1990年)の岩波文庫編集部に見識がなかったのである。

ホテルに併設されている「カメリア」は百鬼園先生もよく利用したそうで、それならカクテルを楽しみつつ『東京日記』を読もうかとも考えたが、野暮ったい振る舞いのような気もして、結局、文庫を手にすることはやめにした。大人しくメニューに目を落とし「東京駅」を頼む。これは1989年、開業75周年を記念して、名バーテンダーとして知られる杉本寿が考案したオリジナルカクテル。モチーフは東京駅の赤レンガとのこと。うむ、東京の味がする(ような気がした)。

ほろ酔い加減でバーを出て、念のため、正面に丸ビルと新丸ビルがそびえ立っていることを確認する。無論『東京日記』の記述のように建物が消えているなどということはなかった。万が一、消えていたとしたら、それは凡人が百の世界に迷い込んだのではなく、日中から飲み過ぎて、酔っ払ったせいであろう。

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